言語化は思ったより複雑な話

ちょっと言語化が苦手という人にヒアリングをしていたのですが、そのあたりでちょっとした気づきがあったので共有してみます。

人は視覚情報をどう処理するか?

僕の知識では、おそらくイメージ、外界にあるもの、ここでは特に視覚ですが、視覚→目→視床下部→みたいになって、最終的に脳の部位に神経物質として認知されてーみたいな感じです。まあたぶんいろいろ違うんでしょうが(笑)そこはおいておいて。

ここで、僕らは「犬」を見た時、その散歩風景、または犬自体の動き、様々な情報を「処理」しています。これらは脳の話で、わりとポンコツだったり、わりと精度が良かったり様々なようだと。

そういうところで、「犬」を、どう脳が処理しているか?というわけですが、イメージとしての「犬」を見た時、

  • 珍しい犬だな、なんて犬だろう?
  • あれ、犬ではないな。小さい子どもが遊んでいるのか。
  • いや、猫かもしれない。猫みたいな犬かもしれない
  • 犬は冬でも元気だな
  • あの犬はゴールデンレトリバーだ、大きいなあ

例えばそうやって色々と巡るわけです。これは人によって違うわけです。犬が好きな人は犬の知見が多いから色々と見える。これが解像度が高いって僕が言っている話です。逆に犬が嫌いだな「うわ、犬だ、他の道行こう」といって、観察対象でなく「嫌悪」「避けるべき存在」となるので、上のような処理は行われないと。

この時、「外界のイメージである犬」→「犬」というように、イメージ処理はしているけど、言葉がどう介在しているかはわりと分からないわけです。つまり、イメージでインプットしているけど、それはイメージで処理しているのか?

具体的には脳内で「珍しい犬だな」という時、おそらく脳内で、「見ている犬と、今まで見た犬と特徴が違うかもしれないので一致していない」というのが瞬時に出てくる。当然見間違いもありますが、そういうことが起きていると。ここで言語的な処理が起きているのかですが、分からないんですよね。

つまり、「犬」というのは、「犬」的なものを見てあとで犬と示したり、または犬ということで「これは犬」だろうということを何らかの形で学習していると。これをスキームとか言っていいと思うのですが、そのスキームとかスキーマってブラックボックスで僕が分かるわけではないというか。でも、学習はしているので、気づけるみたいな。不思議ですけど。そういう理解です。

ここで、気になってるのは、犬かどうかも分かる理由を説明できないってことで、だからAIは教師データから学習するのだけど、「でもそれが特徴量でしたっけ、犬っぽいよね、だから犬」というスコアを付けているのとそれほど変わらないような(笑)気もしてきます。例えばスケッチで犬を描こうとしたら猫みたいなことってないですか。これも割りと似ているのに、くねくねした動きとかにゃーと鳴くみたいなのをちゃんと捉えるから分かるけど、容姿だけでは意外と分からないかもしれません。

そこで、言語化するのはいつだってことですが、おそらくここでは言語化されてなくて、というか必要がない。当然「犬」という単語を知らなければ、ゴールデンレトリバーとかも知らなければ学ぶ必要があるのですが、犬というものをマスターすれば大体の「犬」らしきものは「犬」ですから、それで事足りると。では「犬」以上にさらに細かくする必要があるのか、または「犬」の特徴や詳細をもっと知る必要があるかというと、おそらく必要としなければ「犬」自体を知ることは、深まることはないんですよね。当然経験として、犬と接することで知ることができたーとかはあるんですが、それは経験や体験が後で言葉としてアウトプットすると身につきやすいのかなと。

というわけで、言語化は、おそらくですが、体験や見たとか観察とかのリアルな認知がまずあって、そこを後でアウトプットして言語化して身に付けている、後天的なものと感じています。当然、逆に「犬」というものを増やすために、言語から「コリー」「チワワ」「柴犬」とか言葉から覚えるもの、外国語とかもそうですし、義務教育的な勉強もそういう物が多いですよね。数学とか物理とかの公式とかもそういう感じがします。

これらは興味とハマればいいのですが、ハマらないとまあ苦痛なわけで、それって子どもでなく大人になれば解消するわけでもないと(笑)これは若い人は知っておいても損がないのではないかと。だから、勉強する時に楽しく継続する仕組みに力を入れるのがベストプラクティスになるんだろうともいえます。

この場合でも英単語もアウトプットする前提のほうが定着しやすいはずで、それって言語化を通しているからじゃないかとも言えそうです。

言語は抽象概念を扱いやすい

次に気づいたのは、言語って抽象概念を扱うものとしてはかなり優れているってことです。

これは違和感がある人もいそうですが、世の中には様々なアイデアや概念があります。例えば、思考とか考え方のようなものって目に見えない。システムとか仕組みもそうですよね。もちろん工場で牛乳が生産されるラインを見ればそのまま説明出来るかもしれないですが、ITシステムはコンピュータプログラムの固まりだけどまあ見えないですよね。ソースコードは実態でなくレシピみたいなもので、やはり違うかなという気がします。

こういった概念や見えづらい、見えないものを扱うには言語がいいと。当然イメージにしてもいいのですが、それはソフトウェア開発を家を建てる比喩として挙げる程度でしょうか。確かにそうなのですが、比喩は比喩でしかなく、特徴を捉えている程度であって、「家造り」ではないんですよね。つまり、ソフトウェア開発とかシステム開発は見えづらいからこそ、分かりやすい「建築」とくに「戸建て」として捉えると理解がしやすい。それだけしかない。

それが分かるなら実態のシステム開発の理解をある程度していかないとやはり分からないと。まあここで分かるってどこまでを言うのかもありそうですけどね。

思考とか考え方についてはこのブログでも何度も書いていますが、こういう考え方もある、こう考えてみてはどうか。これをイメージ、「例えば犬のような何か」を描いて説明するのは大変です。「曖昧な感じだけど」というのも、曖昧さを理解している人は分かりますがそうでない人は分からないはずです。という課題はあるんだけども、でも「曖昧な感じである」という説明は意味があって、思考の状態が「曖昧」であるというのを示すと、伝えられると。これを逆に何で示せばいいのか?比喩をやってもいいんですがそれも限界を覚えるわけですね。例えば「メニューが色々あって決められない感じ」といっても、これは曖昧でなく迷っているだけでは?とかになりますよね。曖昧って、ぼんやりだから「眼鏡のピントがあってなくて外が見えづらい様」だといいかな?でも、それを「思考」に対して適用することって、その人が理解できるかですよね。どうでしょうね。

そうやって、思考やシステムという抽象度が高いものとすると、言語はそれを扱うことで詳細を記述できる。逆にいえば、言語の方が抽象度が高いのか低いのか分からないのですが、幅が広いので、細かくしていけば具体的にできると。そういう記号セット、手段セットというか、パッケージであるといってもいいような気がします。そういう抽象手段で考え方を示すこと、というととてもつもない、言語化が試されていて、とても苦手な人は全く意味が分からないのではないかと。

僕は思考が好きで、考えを示すのも、それを記述するのも、気づくも好きなんですよね。そういう世界観で生きていると、言語がないというのはわりと想像しづらい。でも、言語がなくてもいろいろできると。ただ言語という発明ですよね、そこから文明なり文化が出来るのはなかなかダイナミックで面白いと。そして、哲学なんてまさに言葉で思考を綴る、明らかにしていくといっていいと思いますが、学問とやはり相性が良い。そうやって研究したり調べていくと深まっていくと。最終的に社会に役立つことがあるってわけですね。

このように、言語化が得意な人は抽象概念が好きなんじゃないかと、ソースは俺ってやつですが、僕はそう感じています。そもそも思考とか考え方とか目に見えないものをどう脳が処理するかってことです。言葉はその概念を圧縮できるわけです。「思考」といえばそこで色々とまとめられるわけですよ。超便利だなと。そうやって考えることを記述することもできるってことですね。逆に具体化、イメージされたもの、見えるものを扱う人はイメージ処理をどうするか、またはそのイメージを作るとかで成り立つので、そこに言語とか抽象概念をあえて必要かというとどうなんだろうと。

コンセプトって概念ですけど、これはやはり抽象度が高い。そういうのを生み出せるかは、かなり言語的な脳処理があると思うのですが、デザイナーだと、両方できる人も多いはずで、そこらへんでおそらく、アウトプットするところ、インプットするところで、両方で何か変わってくるだろうなというのが仮説です。

例えば、アウトプットとして仕事があるとき、やはりインプットも変わるし、トレーニングも増えると。だから、インプットとアウトプットを見ればどういう脳処理をしているか、ブラックボックスですけど、見えてくる感じもしています。

つまり、言語が抽象的なものを扱いやすいことに気づけただけでも嬉しいというか気づきですが、さらに具体化と相性が良いのはなにかとか、言語を介さず、イメージ処理だけでなにか抽象化できるのか、抽象記号のような発明をすればいいだけ?でも言語があるならそっちを使ったほうがいいのでは?とか色々と気になることが出てきました。

現時点で、言語優位だろうがイメージ優位だろうが人はわりと生活できる

当然これは今全ての人は普通に生きているから何もしなくても完璧だみたいな話ではないです(笑)

たまたま聴いた人の中では、おそらくですがそこまで困っていて生活に支障が出るという「障害」レベルのことは起きてないと。一方でそれが起きないのは、代替方法がある程度あったり、またはそういう困りごとが常にあるわけではない(頻度が少ない)。あとはトレーニングをしようとして出来る部分、出来ない部分があるところで、仮にトレーニングをして克服しなくても回せることがぶっちゃけ普通にあると。

だから、痛みとしてはそこまでないんですよね。というわけで、例えば言語化を支援するようなものって正直きついだろうなというのが僕の肌感です。

そして、言語優位な人は言語はあったほうがいいというわけですよ。僕は。でもこれはバイアスがあって、自分が必須と思うのはそれで生きているから。ある種の生存者バイアスといってもいい。イメージ優位の人もそうで、イメージがないと生きられないわけですから、全く同様のことを言うわけです(笑)どっちか正しいとかでなくて、どっちもその世界観があって生きている。それらがバトルするところではなく、結局社会にはそういう様々な人、脳の処理、教育、それこそ遺伝や性格とかも含めて色々あるよね。ということが分かるわけです。

あとは生活上、言語というのをあまり仕事で、日常使わないってことですよね。そういう時苦痛ですけど、避けようと思えばできるし。そうですよね。例えばブログを書くけど、noteみたいなものならイラストとかを上げて文字ほとんどないなんてあるわけですよ。それでまかりとおりますよね。僕のブログはそういうことはなくて(笑)今後どうなるかもありますし、やり方次第ですけど、やはり文字を綴り思考を出すことが主題としてあるわけです。何千文字が普通にあると。

それが良いとか悪いとかはなくて、そうやっているんだよね、という客観的に見ることができる。イメージ優位の人には全く文章が入ってこないはずですし、途中で読むのを辞めてしまうことも考えられると。そういう人向けに出すかどうか。求めてないのにとかとなるので、あとはどう着地するかですよね(笑)

というわけで、ちょっと言語化周りで得た知見を共有してみました。メモの仕方とかもそうですが、やはり脳処理ですよね、頭の中で人は何をどう処理しているか。言語における役割はどこにあるかとか気になり始めています。そのあたりも深めていくと、アイデアがどう生まれるかももうちょっと色々と言えるんじゃないかと。そのあたりはゆるーく期待して見てください(笑)

ライター

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
ビジネスアイデアメディア「シゴクリ」運営者。生まれてくるアイデアをビジネス化出来ないかを考え続け、アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談やビジネス企画の実績多数。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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