事業者目線での根っこをお客様目線の葉っぱで伝えるのは難しい話

根っこ、枝、葉っぱという木の比喩

分かりやすいとは思っていますが、枝葉というと重要ではない、根っこが大事ということを言ったりするわけです。

そこで、アイデアとしても根っこが大事で、枝、葉はそれほど大事ではない。切り口や着眼点というのはですね、枝くらいかもしれない、根っこまでいかないけど、かなり大事です。そして、葉っぱはいくらでも生み出せるという感じです。

形にすると、「根っこ」自体はとても分かりづらく、説明しづらいはずです。概念が説明しづらいからです。上の図で一瞬で分かる人もいれば難しい人もいると。どんなに優れた図でもすよね。そんな感じです。

葉っぱというのは具体的なアイデアとかであれば、根っこはそのコンセプトとか抽象度が高いものとか、自分の中にある体験の蓄積、ノウハウとかかもしれません。それを葉っぱとして見えるようにする。

ここで葉っぱといっているのは、自分の世界だけなら、根っこだけで成立するかもですが、社会=人が関わる中では説明しないといけなくて、また伝えることが求められるからですね。これは社会的な生き物だなと感じるところです(笑)

事業者目線の根っこをそのまま葉っぱで売りづらい話

事業者目線とは、サービス側の話です。あなたが何かを売りたいフリーランスだとしてその立場です。とても大事にしているミッションやビジョンがあるとします。

例えば美容師の人で「お客様の人生を変えられる」とか。立派ですよね。綺麗な言葉です。でもですね、「お客様の人生を変えます」といって伝わるか?ですよね。ちょっと怖いかもしれない。

なぜなら、多くのお客さんは「髪を切ってもらう」という葉っぱを通してしか分からないからです。少なくとも、信頼がないのであれば、葉っぱしかない。つまり、髪を切ってそこでどうにかするしかない。そうでないものであれば、美容師ではないわけです。当然美容師の定義ややること次第ですから、「切らない」美容師がいてもいい。でもそれでもなお、「切らない」ことが葉っぱになるはずです。切らないことで、綺麗にすることもできるでしょう。

ここでいいたいのは、自分の根っこのようなアイデンティティは大事であると同時に、それはそのままではお客さんは胸焼けするというか、お腹いっぱいということですね。暑苦しいといってもいい。

誤解がないようにしたいのは、ビジョンやミッションを言うなとか、それを作るなでなく、それを売るわけではないということです。それがあるからこそ、商品である、その前の枝→葉っぱというのが出来てくる。「お客様の人生を変えられる」と思っている美容師の「髪切り」全てのサービスと、「早く仕事終わらないかな、だるい」(笑)と思っている美容師の「サービス」はまあ全然違うはずですよ。比較されたくないかもしれないけど、それは分かるし伝わるわけです。

ですが、商品やサービスとしての葉っぱでそれを伝える必要があるんですね。それだけです。

お客さんからは葉っぱしか見えない真実

つまり、お客さんは葉っぱを見て体験して、そこであなたのビジョンやミッションとかを知っても良い。そういう人なんだなと根っこを見ていく。またはそこで信頼となる。これが信頼関係の構築であり、人との繋がり方、商売でいうお客さんとの繋がり方なんだと思います。

だから、根っこを見て下さいというのは大分ずれるし、またちょっと乱暴かなというところです。僕であれば「アイデア社会」というビジョンがあるんですが、「アイデア社会の実現のために、壁打ちしてください」とか「アイデア社会はいいんですよ、だから違和感発想してください」とかってはっきりいって「うざい」わけですよ。僕はそんなこと言った覚えはないですが、仮にやるとすると(笑)書いていてうざいなと思いました。

よって、顧客に集中する話ではないですが、葉っぱを磨いてそこでお客さんの課題が解決する、何か改善する。そこで始めて事業者や僕に興味を持つ。そうでないなら発生しないんですよね、見えない根っこなんか興味がないわけですよ。無情かもしれませんがそんなものです。僕が客側なら「お、なんかいいな」と思えることがないと、まあ発動しない気持ちですからね。

というわけで、しっかり商品設計をやっている人には当たり前過ぎるのですが、色々悩んだり考えると見えなくなる人もいるのかなと。その時根っこは大事に、だけど根っこをそのまま売らないことが大事かなと。

これは、ラーメン屋で言えば秘伝のスープをそのまま売っちゃう的な意味です。スープはラーメンとして売っているわけですから、スープそのままではないですよね。あとスープ自体を誰かにそのまま売ると、それはスープ屋みたいになる。当然ビジネスとして色々考えてやるならいいですが、根っこでなくそこを加工して「葉っぱ」としたほうが良いというわけです。根っこそのままだと大変で疲れてしまうというところです。

上に少し書いたようにそうやって加工する時にまさに、「葉っぱ」としてラーメンとしてスープを出す時「これでいいのかな?」(こんな楽でいいのかな)と思う人がいるのかなと。根っこを出してそれでなんとかなるんじゃないかって。でも、それは持続可能性がないというか、疲れて出来ないはずなんです。だから6割くらいでいける葉っぱをやってやっていくというか。12割くらいで踏ん張って燃え尽きる根っこを提供すると本当に自分が倒れますからね、メンタルでも身体的にでも。

僕で言えばアイデアをそのまま売るということもキンドルなどで売っていますが、これも葉っぱなわけですよ。葉っぱに価値がないのでなく加工しているだけということです。当然、負荷は低いと。限定的に考えるのは楽ですからね。なぜか?僕は根っこがあってそこのインプットやネタがあるからです。でないとしんどい。ではそのネタをそのまま出すとこれはまたしんどいと。

同時にしんどいのだけど、お客様にとって求めているものになりづらいんですね。根っこって例えば漢方の高麗人参みたいな感じで(笑)それだけで食べられないというか。レモングラスとかでもいいですが、あれネギみたいですけど食べられない(僕は食べたことはないです(笑))みたいな。でも体には良い。だから生薬というか薄めたり、薄くしたり薬ですよね、少量水とか白湯とかで飲むというか。そういうものかなと。

ここで、根っこ=高麗人参が良いからといってそのまま人参みたいに食べないはずなんですよ。それを調理加工して飲みやすい飲み薬にしましょうと。それが葉っぱ化ということです。

まとめ

簡単にまとめてみます。

  • 事業者側は根っこ→葉っぱというのがよく見えるが、お客さんからは基本根っこは見えず、葉っぱしか見えない(解像度の違いのため)
  • 商品開発や設計というところでは、根っこをそのままお客さんに売れない(胃もたれ、胸焼け、消化不良などになるため)
  • よって、事業者側はもどかしくても、根っこ→枝→葉っぱなどで加工して、お客さんが食べやすい形(食品は例え)にする必要がある。
  • お客さんは葉っぱを通して、その加工されたものを通して理解できるし、体験できる。それがあって始めて事業者側の根っこや枝など深い部分を知ろうとする(真実の瞬間という言葉で言っても良いですが)
  • 事業者側は、根っこを葉っぱのように売るのでなく、葉っぱ化して売る必要がある(お客さんからすれば買ってもらう必要があるといえる)
  • 根っこそのまま売る運用では、おそらく120%の稼働や大変過ぎて潰れてしまう。葉っぱ化すると、6割などかなり持続可能性がある運用できるスタイルになる。この残りの4割はなにかといえば、自分のインプットや勉強や学びという余力となる。余裕や余地といってもいい。
  • 根っこで120%ではそれが出来ず消耗して「自己犠牲」「なんでこんなにやってるのに報われない」のような悪循環となりやすい。葉っぱ化しないと、食べづらいため、お客さんにとっても不幸であり、売れないということになる。
  • 根っこ自体は悪くないしなければいけないと思う。またはあったほうがいい。ただそれは事業者側の内面の話、または組織のビジョンやミッションの話であって「それ」が美味しいわけでもない。単なる内面の心理や感覚の話でしかない(くどいがこれらは大事であって、なおざりなものではないということ)。あれば食べられるというか、お客さんが食べてくれるわけでもなんでもない。そこを売るなら、葉っぱを磨くべきということになる。
  • よって、根っこはどんどん磨いていけばいい。そしてお客さんには葉っぱとして見せればいい。お客さんは車でいえばエンジンのメカニズムを知る必要はない。ブラックボックスとして「アクセルを踏めば進む、ブレーキで止まる」などの簡単な行為が分かればいいしそれで車は運転できる。僕で言えばアイデアの仕組みを伝える必要はあまりない。アイデア自体が欲しいお客さんなら「仕組み」を説明しても価値は薄く、でなくて「アイデア」が欲しいからだ。であるとき、最適なお客さんの欲しがるもの=アイデアを伝える=葉っぱであるといえる。当然お客さんが変われば葉っぱは変わる。例えば発想法は「アイデア」でなく、「アイデアの出し方」を学びたいお客さんになる。であれば、発想法という葉っぱを売れば最適となる。
  • 解像度が高いと見える部分が多いし細かく見えることが多い。故に、そこを説明してしまいがち。それは分かるが、求めていたりお客さんのレベルによることになる。求めてないのであれば無理に伝えることもない。適切に消化してくれるのであれば、おそらく関係性が出来ているのだと思う。つまり、葉っぱを消化してくれて次とか、何度も頼んでくれるのであれば、枝や根っこがお客さんにも見えつつあるはずだからだ(ビジョンとかミッションとか分かってくれたり、分かってくれなくても自分や自社の存在意義や価値をかなり分かってもらえている状態)。

というわけで、根っこは丁寧に磨いて長期的に付き合っていく。同時にこれらは誰かに見せてすぐ分かるものでもない。大事に大事にしていいわけだ。見せる見せないとか示す示さないは割と自由。その前に、まず葉っぱとして商品やサービスやプロダクトがあって、そこを磨く必要がある。それがあって、当然伝えることも含むがお客さんとのコミュニケーションが始まるといえる。

そしてこれらを持続可能、つまり、作って売る、作って売る、そして葉っぱをメンテナンスする、磨く、アップデートするというところでいえば、根っこでなく本体に余力が必要となる。それがなければ動けないし、投資として勉強や学びにならないので、同じことを繰り返すということになる。それでは良いものが作れないのと、または疲弊して疲れてしまうので、徹夜で寝ずに作業しているようなものといえばいいだろうか、お客さんも満足しないし、自分もやっていて成果を得られない形となる。

ビジネスにおいて、根っこと葉っぱというと何と感じる人もいると思うが、なかなかいい感じで言えたかなと。後々何度も使う概念になるかもですわ。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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