AWSでも落ちるからこそ、何でもやってみよう
ちょっと前にAmazonのウェブサービス、クラウドサービスというものだがAWSが落ちた。たまに落ちるが、ほぼ落ちることはないし、復旧はすぐにする。自前で作ればめちゃくちゃ大変だし、安定もしないはずだが、それがクラウド技術で様々なサービスがその恩恵を受けている。
そういう優れたサービスでも落ちるなら、完璧なんてないよねという自己啓発っぽい話をしてみたい。
完璧なプログラムはない
例えば自動車がAIなどで自動運転となっても、事故はなくならないだろう。もちろん事故というのが人の原因であったものはかなりなくなるが(煽るAIが生まれることはないだろうが)、AI同士の牽制から何が起きるかも完璧に学習してというのはやはりあまりなさそう。
つまり人工レベルで全て完璧なものはないのだし、自然でも八百万の神ではないけど、なかなかこれで完璧ってのはない。とはいえこの話をすると「神」とか「宇宙」とかって概念が出てきそうだが、まああるんじゃないかってくらいで。なくてもいい。
そういう中で、AWSは人が作ったサービスであり、バグや脆弱性は存在する。どんな優れたものでもだ。ちなみに優れてないプログラムはバグが多いというわけでもなく、それ以前の話かもしれない。
ATMも止まっている。大手銀行でATMがガンガン止まれば、障害が起きれば、これは銀行が潰れない神話とか、大手企業は潰れない神話に近い。神話とはここでは絶対そうなるというストーリーくらいだろう。決められた物語で変わらないというもの。それはないのだ。常にトラブルや失敗はある。
完璧なものなんてないことが分かれば本記事は読む必要はない(笑)
個人でやることなんて失敗だらけだ
よって、個人が作るものなら言わずもがな、ということだ。完璧なものはなくて、喜んだり評価されたところを見ていく癖をつける。つまり、ツッコミだらけということだ。ツッコミだらけのことやものをみて、微笑ましく対応出来る人は大人だと思うが、一方でそういう人は自分もそういうことをしてみたかったり、応援したかったり、そういう励ます文化の方が良いよねという「行動」を取っているのだと思う。
だから、そういうことを踏みにじるのはまあ悪手であるので、あまり良いことにならない。下手すると発言した人が誰かを傷つけてまた自分もそれで傷ついてお互い傷つきあって終わるという悲しい世界になるかもしれない。
個人といったが、会社とか、ある種の集団でもそう。誰も成功を保証されたことなんてないのだ。それをなぜか、頭でっかちになったり、色々と情報を得てしまうとどうも「簡単にうまくできそうだ」となってしまう。これは脳自体の奢りというか、認識機能の問題だろう。そうやってうまくできると考える方がストレスはかかりづらい。が、実際にストレスはかかるので、どこかで客観視して調整が必要になる。夢の世界では生きられないが、夢は見るというなんとも矛盾した生き物ではある。
なんでもうまくいかないことはあるし、逆に何もかもうまくいかないことはないという感じにもっていければしめたものだ。フォーカスを当てるのは全体的にはうまくいくことで、時にはうまくいかなかったことくらいでのバランス感だと思う。
結局は、うまくいくいかないの二択だけでは狭いので、そこをグラデーションとして幅広く見える、解像度を高くしていく。そうするとかなり細かいレベルで見えるので、どこが最適か、打って出るのか、旗を立てるのか、それとも今は引っ込んで休むのかなど、そういうのを判断して、思考していくしかない。
完璧を目指す人は固定的なマインドセットか
おそらく完璧を目指す人はそういうものがあると信じて疑わず、そのために変えることはしない。そう、何か実現するために動くのはいいのだが、完璧完全を目指すとは、どこかに固定された決まっている概念や能力があると思っている。また自分がそういう能力があると思い込んだりあるからこそできると思っている。
もちろんそれは自信にもなるのだけど、多くは後天的に学んだり、変化に対応したり、時には強いストレスがあったからこそそこから出来ることもある。つまり決まっていないのだ。ある種変わるからこそ学ぶ。痛い目に合わなければ貯蓄をするとか、備蓄をするとかは多分しないはずだ。
柔軟なマインドセットであれば、変化をする前提で捉える。または完璧ではない不完全を自認する。悲劇はこのマインドセットのズレで、同じものを見ても「コップに半分も」水があるのか、「しか」ないのかとなるのだ。それは自己啓発という意味で常に「も」あればいいというのが良いわけでもないはずだ。
常に水は変わるし、水は誰が持ってきたんだ。根本的に考えるとどんどんツッコミが出てくる。表層を見れば「しか、も」しか考えられない。そんな水いらないのかもしれない(笑)
チャレンジを出来る人はやはり柔軟なマインドセットがある人だと思う。そうでないと、ふわっとして曖昧で何か分からないけど、楽しいからやるとか、おもしろいとかってやるなんて出来ないからだ。起業もそうだし、あらゆるアイデアを試すこともそう。やはり正解がないからこそできないのでなく、正解がないという前提を楽しめるからこそ出来るのだと思う。出来るとは成功するということではもちろんない。それをやるということだ、愚直にやったり地味にやるということ、行動の1単位が出来るかどうかということとなる。
失敗は殆ど見られてない
自分の失敗を話したところで、またはそれ以上にやったことなんて殆ど見られてない。というか、自分は自分のことを知っていて、かつその失敗はなかなか重いものだったとしても、カミングアウトとしても「え、そうだったんですね」くらいの反応が実際は多いものだ。拍子抜けするくらいだろう。
だからその課題とか抱え込んでいることは軽いわけではない。それはそうとして、ただ人はまた別の生き物で、ものさしや指標が別であるのだ。だから、失敗もどんどんしていいし、そもそも失敗と思われてないし、または認識すらしてないことも多い。それくらい人は人の失敗を認識できない。
またはしてもそれでなぜそうなったかまで考える人は、同様か失敗的な行動をした経験があるか、深く考える人でないとそこまでいかないのだろう。だからこそ、人は同じ失敗を何度も繰り返す。僕もである。
失敗なんて見られてない。挑戦も見られてないという孤独かもしれない。ただ孤独で誰も全く知られてないってこともまたレアだと思う。0というのは全くない状態だが、例えば自分を入れてみると常に1だと思う。またそれによって意外かもしれないが、人はこっそり(見ているとは言ってないのだが)見ていて影響を与えていることも多い。
そういうややスピリチュアルっぽいのだけど、自分の行動は社会に属している以上全くゼロで影響がないこともない。ただ多大な影響となるとまた違う。だからこそ、まずはやってみて知られてないとか、広がらないとかを嘆くのでなく、どうすればいいか、やってみてどうかを諦めないことだ。諦めないなら常にチャンスはくるし、良くなっていくというような見方が出来るはずだ。
筆者プロフィール
- 「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介、仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューやお問い合わせはお気軽にどうぞ。
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