決めるのが遅い、それだけで致命的である

決めることって大事なんですが、決めること=間違えないことは結構違うなと。というか、決める=間違えない=正しいとかってことじゃないんですよね。それは別だと。

そしてさらにですが、決めたことをやれるかは別です。

となると、こうなるわけです。

決めることと、間違えないこと、やれるかどうかできるかどうかなどは別ってことです。

ごく当たり前のようですがこれを混在というか、ごっちゃにしていると、今自分が決められないのか、何か動けないのか、間違えたくないのか、やりたくないのか。それらがわからないのだと思います。それはまずいので、そこを認知認識できるようにしたいですよね、という話です。

決めるのは誰でも出来るが

決めるって誰でも出来ます。ランダムに目をつぶってこれってやれば決められますから。でもですね、ビジネスとか起業とか、何をやるとか、それをやってどうするとか。色々と考えると。頭だけで考えてはダメなので、身体的に色々やっているという前提です。

その時時間を掛け過ぎればやはり遅いんですね。時間をかけているから遅いわけですが(笑)

そうやって遅い決定=遅い判断は色々と動きを鈍くします。

極端ですが、15分くらいで判断できることを1ヶ月かける。1ヶ月くらいを1年かける。10倍とか何十倍かかると。それって「簡単な仕事なのにそんなにかかるんだ」というギャップを生み出しますよね。これも含めて面白いのですが、そうは笑ってられないときもあるわけですね。

決めることは誰でも出来るからこそ早く決めたほうがいい。

ですが、多くの問題は決めたものが「うまくいくか」が不安なんじゃないですかね。決めたものがうまくいくならそりゃ嬉しいし楽しい。でも、そうではないから。

ではなんでそういう思想になるかというと?

決めるとやる、成功するとかは別

僕の感覚に過ぎませんが、優れたリーダーとか、出来る人はこれを分けている気がしました。つまり、Aって決めるから、BとかCってことは一旦やらない。忘れて良いよと。でも、Aでやるからそれでやってねと。

これで異論がある人はまあそれで異論を出し続けるわけですが、例えば会社員であればその決定に従わざるを得ないんですね。そういう立場ですからね。ポジションにもよりますが。

その上で、Aが単なる独断かは検証されるべきですが、そうでない、別にAもBもCもそこそこ良いか、またはそこそこ「悪い」なら、どれも同じですよね。であれば、誰が決めるのか?

それがリーダーであり経営者であり起業家だと僕は考えています。決めると。

では当然責任は?そうです。決めた人ですよね。だから、適当に決めずにそれを決めた責任を持つというわけです。今の世の中のリーダーがそうであるかは一旦クエスチョン(笑)ですが、そこはおいておいて。

その上でAをやるわけだから、Aは成功させたいですよね。何か結果を出していきたい。少なくとも失敗したいとかってことではないですよね。

ですが、成功も失敗も微妙もまた別の話です。Aと決めるが、Aがうまくいくかは分からないのが「まっとう」だと僕は考えています。そこまで保証して出来るなら、論理的に「理想」ですが、それはある種ちょっとホラーというか怖いですよね。確実に成功するやり方・・・なんてこのブログでも何度も警鐘を鳴らし続けてますが、伝わってますかね。アラートであり、危険信号最大レベルですよということです。

そうなっているとかなり重症ですから、会社員である人は離脱を、役職者は改善をとなりますが、根っこがやられていればやはり厳しいでしょう。

やったことがうまくいかなければ、「ほら見たことか」と言われるわけで

決めるとやるは別。または決めるとうまくいくかは別でした。

では、やってみることとうまくいかないことはどうか。誰しも成功したい、うまくいきたいと思っている前提です。そうであっても誰もがうまくいくわけではない、ですよね?

そうすると、面白いのですが、必ず当初うまくいくと言う人は別として、うまくいかないという人たちがいるので(これが自然です)その人達は「ほら見たことか、失敗する」というわけです。

その通りで結果を出しただけなのですが、結果とはうまくいくとかでなく、事実として何かすれば結果が出る。

Google広告を出せば売れるかどうかは結果が出ますよね?ブログをかけば見てもらえるかどうかって出ますよね?それだけです。

何を言いたいかというと、「ほら見たことか」という人は、結果で色々言うけれど、その前の判断はできなかった、またはしないことがあります。そして、やるやらないに関しても関与しない、つまりやれないというのが多いでしょう。

これは一応慎重に言ったほうがいいですが、素人だからプロの話とか、市民だから政治家に対してとかそういうのではないですよ。批判はそういうのはあるべきでしょうし、それで見えてない領域を見ていくことが意味があるわけです。(非難はただダメというのであって、批判はそのさきを見越しているという意味で全く違います)

失敗をするだろうと思っていれば誰でも失敗はするので失敗した(笑)これをもって「ほらみたことか」ってだれでも出来るんです。文字通りだれでも出来る。だから、あまり価値はないので、イラっとすることは分かるので(笑)スルーか、適当に扱うというのが妥当です(適当に扱われると人は怒るのでここも大変ですよね)

決めても、やってもやらなくても、できてもできなくても結局一緒

ここまで考えると極論ですが、何をしても一緒となります。一緒とはうまくいかないってことです。大体失敗する。すごく考えてもめちゃくちゃ張り切ってもだれかの知恵を借りてもダメなものはダメというか。これはもう思い切っちゃおうってことです。

何を言っているかというと、AかBかCかを1000時間考えてAとしても、実は大差がなくてBでも良かったCでも良かったとかってあると。当然そんなの分からないので、適当に決めてもわからないんですよ。決めるところは。

その上で、次にやることもやれるできるがあるので、考えたとおりに進むわけは・・・ないですよね。だから計画や企画や戦略が要らないなんてことはまずないのですが、そこも一気にふわっとするわけですよ。決めても出来ない、決めたことが間違っているとか(笑)いくらでも言えますから。

何をやってもやらなくても、100%うまくいくとか、そういうのがない。0%で必ず失敗するもない。

というところが見えていればですよ、もう失敗前提で決めちゃってやってしまったほうがいい。

というのが今回の主張です。

となると、遅いだけで単に損失というのは言い過ぎではなく、拙速は巧遅に勝るではないですが、もうそれでいいんじゃないか。

あとは決めちゃって何かやったら手応えが見えるからそこで決めていく。それしかないなあと。あとはリソースが限られるなら、そこを含めて決めるってだけですから。間違えてもいいと思うしかないというか。

おわりに

起業家とかスタートアップ経営者とか、あと経営者とかですよね、そういう人たちってやはり決めるのが早いです。あとは判断のための材料がないならそう言ったりするというか。言語化が得意ですよね。思考に対する言語化が得意というのが適切でしょうか。

そういう人たちが迷わないかというとそれはないんですよね。迷わないわけではない。むしろ迷うと。

であるならば、迷うなら別に決めて検証してまた決めてを繰り返す方がいい。これは検証思考とか、仮説思考って感じが近いんですが、一定程度間違えるうまくいかないを込みで動くんですね。

そうすると、くどいですが、結果的に量を試すことになる。量を試さずいきなり何か出来るは流石に厳しいと思いますし、仮にそういうのがあっても僕は理解出来てないというだけです。理解出来てないものを勧めることは矜持として僕は無理ってだけですからね。

決めるのが早ければ全てうまくいくなんてそんな甘い話ではないんですが、決められないので遅いという場合があるとして、その場合多分ですが、決めてすぐやっているから、あまり「迷って疲れた」がないんですよね。僕もそうです。迷うならまずやってみてから、やらないとわからないことって一杯ありますからね!

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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