儲かる発想を再度読む

儲かる発想を再読しての気付きの共有です。

今回は、文レベルで引用しつつ、そこに考えたことをぶっこんでみます(笑)

儲かる発想本はこちら

目次情報は講談社ページにあります。

マーケットと儲けのネタをヒモづけよう! ビジネスマンのための「儲かる発想」

面白かった点

アイデアが良くても、自分だけの得で終わらないこと

優れたアイデアを考えても、自分だけが得をすることを考えては成功できません。これは絶対に忘れないでください。

鳥井シンゴ著「儲かる発想: マーケットと儲けのネタをヒモづけよう!」P.40より

前の気付きではそこまで書いてないかもですが、本書はこの自分の得ですよね、これは最後であると言っています。自分が得しないならボランティアですからね。順序として関わる人が、自分も含めて得するということを考えていくと。

そこで最後に自分の得を、そんなのでいいの?くらいで設定するわけです。そうすれば、あなたが感謝され、企画やビジネスが回るわけですね。

ここで再度改めてそうだなと感じたのは、ビジネスにおいてですが、「良いアイデア」があればそれがビジネスになると考える傾向についてです。これは「良いアイデア」はあるし、それを否定しないのですが、「良いアイデア」だけで突っ走れることってまずないかなと。僕の肌感からもいえます。

例えば、僕はWebサービスを色々見ているのですが、そういうサービスを見ると「良い」アイデアはあるんだけど、「使う側が想定されていない」「そもそもニーズがなさそう」「自分だけの世界で留まっている」「マネタイズするには厳しそう」など、色々とツッコミがあるものが多いです。もちろんそれを全て超えてできる力が僕にあるかはここでは棚に上げておきますけど(笑)、その上でそこをまず考えれば、色々と考慮できるんじゃないかっていつも思うんですね。

でも、そういう「じゃあビジネスモデルとしてこの要素は考えようね」といったところで、それが簡単にできるかというと、技術として出来るんですが、すぐ出来るかはまた別かなと。

話を戻すと、「良いアイデア」があればーと思い込んでる人ほど、それ以外のことを考えないんですね。つまりアイデアファーストっていうのは、セカンドにビジネス設計とか、仕組みとかってこればいいんですよ。ですが、「アイデアオンリー」というか、「アイデアストップ」というか、そこで終わっちゃうという感じです。

いや、もしかしたら、アイデアオンリーのほうがいいかなというのもあるのですが、それは「アイデア」の後に、自分の得「だけ」を考える、オンリーという意味では、アイデアだけであり、自分の得だけ、みたいなだけだけセットです。

これはまずいです。それ、あなたが得するだけでしょ。で終わるんですね。それがスタートとか、起点となって始まるのもあるんですが、文字通りそこで止まってしまうケースが想像されます。

だからこと著者は「絶対」にと断言しています。忘れている、つまり、「自分のアイデアが優れている」と思い、かつ「自分だけが得する」と考えているならば、それだけならまずうまくいかないってことなんですね。うまくいくとか、成功の定義もありますが、シンプルにそのアイデアが実現しないってことですね。

マーケットアウトの考え方

つまり、マーケットを先に見つけて、そこにマッチするアイデアを構築する

鳥井シンゴ著「儲かる発想: マーケットと儲けのネタをヒモづけよう!」P.50より

マーケットアウトという言葉が出てくるのですが、これは、プロダクトアウト=開発者や提供者がいいでしょっていって作って売る形、つまり、ソニーのウォークマンとかAppleのiPhoneとかですよね。次にマーケットイン=市場調査、つまり人の声を聞いて不満とかですよね、それを解決するようなものですね。調査からはおいておいて、例えば不満を解決するものなんて結構あるので、ここでは例はなしとします。最後にマーケットアウトです。これは確実にその顧客、つまり買う人がいて、そこがあるから売れるという形、だからマーケットイン的にマーケットを調べつつ、確実にプロダクトアウト的に定めて売るみたいな。

あえて既存の概念に紐付けなくてもいいのですが、例えば、新しい旅館をやるとします。ゲストハウスみたいなものとしてください。そこを開いたらお客が来るか?って不安じゃないですか。不安なので、予約を取ります。例えば、開業前に1年間の部屋数を全部埋められるとしたら、そもそもその不安は消えませんか?っていうのがマーケットアウトといっていいでしょう。

つまり予約なり、リリースする前に全部埋まっていたり、ある程度見えちゃうもの。であれば、既にやる前に見えているので楽なわけです。

当然そんなことって結構難しいので、ゴリゴリのリサーチや営業やアイデアが求められると。ただそんなに特殊なことではなくて、ぱっと思いつくのは、りらくるのようなマッサージビジネスはそんな考え方だったような気がします。つまり、出店する時には既に客が来るのが見えているみたいな。他にも、うろ覚えですが、あるシェアハウス運営では地元学生がそこに泊まることを前提として、覚書ではないですけどそこを固めておいて開発して、建物を作ったと。そのおカネなども地元銀行から融資して「作ったら確実に部屋に入る」んですと。学生のリストはこれで、確約が取れています。実際にそこに入居しませんよとかもありえますが、それは信頼問題であって、そこで裏切られるレベルならそもそもビジネスとして成り立たないので、そこが相当程度いけるでしょうというのも裏とりではないですが、あるってことなんですよね。つまり、リストがあればいいというよりも、そのリストの確からしさが、あなたの信頼とか行動とかってことかもしれないと。

スタートアップだと、MVPとかプレトタイプみたいな概念として、まず登録者がある程度取れるとか。そういうのに近いですよね。例はいくらでもこちらの記事でまとめているので気になる人は見てみてください。最初の顧客など初期ユーザーの獲得方法まとめ

あと、マーケットアウトって概念を実は他の人も言ってたりします。ぱっと思いつくのは、守屋さんです。ただこの概念は守屋さんが所属していたミスミという会社で学んだというんですね。

このマーケットアウトについては、「マーケットアウト」というビジネスの手法 記事No.#1607が詳しいです。気になる人は読んでみてください。ここでは「顧客の側に完全に立ち、顧客の要望にそったものを調達したりプロダクトインする」と書かれています。ミスミという会社がメーカー寄り、メーカー都合だった販売代理店というところで、そこから利用側のユーザーに届けていたわけですね。そこを逆転したといってもいいので、利用側ユーザーの要望から始まり、それこそ規格を標準化してこれを作ってくれとメーカーに言っていくと。

これは製造業だから出来たとかって話でなくて、どのレベルでビジネスを見るかとかもあるでしょうし、真にニーズがどこにあるとか、最適なものはどこだろうかって考える癖の上に出てくるような話かと思います。単純に逆にしたといっても、その逆にしてやり続けるとはかなりのストレスややり方の試行錯誤が求められるからですね。

本書に戻します。ここでは、まず顧客を見つけると、顧客がいそうなところを見つけると。そこなんですね。そして、そこに顧客が買うアイデアを入れると。そうすれば当然買われると。当然、これいいでしょというのがあってそれを顧客に見せるとかそういう細かい順序はどちらでもいいんですよね。ただ、顧客とそのマーケットですよね、が見えてないのに、売れば見えるだろうとかはプロダクトアウト的過ぎますよね。またリサーチをしてマーケットインでもいいのですが、そこで問題は「マーケット」というのが、机上っぽい可能性があると。つまり、本書ではそこまで言ってないのですが近しいのはあ「皮算用」です。例えば「この商品が1000人に一人は売れるだろう。男性20代は500万人いるから、5000人には確実に売れる」みたいなのって、全然マーケットではないんですよね。妄想です。当然それを検証して確からしさがあるならマーケットアウトと言って良いのですが、ここでは単に「頭と、机上で、これくらいだろう」といっているだけってことです。

机上として考えるのは無駄ではないのですが、この「売れるだろう」で何も調べてない(調べるとは顧客がいるとか、顧客の属性を研究するとか、顧客に見せて反応を伺うとか)ので進めるなってことですね。意味がないというわけです。

ここで更にツッコミとして、「顧客に商品を見せて反応を聞く」有効性を気にする人がいると思います。確かにプロダクトアウトを目指すような、これいいでしょと開発者が思うようなもの、いわば今はないもの、新しい価値ですよね、ってものは見せても意味はないんですよ。つまり、ポジティブなものといっていいのですが、新しくて楽しくなるようなものですよね。それってやはりちょっと分からないというかあまり良い反応ではないかもですよね。さすがに「馬車を見せてこれより速いものが有るといいと思いませんか?」といって、そりゃ思うのですが、馬車を速くするしかないよってことになるんですよね。という意味で顧客に聞いてはいけないんですよね。こういうケースでは。

一方で、不満とか現状改善とかって意味なら大いに聞くべきだと。だから、あなたの考えたアイデアがどっちかなんですよね。ちょっとした改善なのか、効率化みたいなものとか、不満を解決するようなもので、想像ついたり、顧客が分かるような感じだとか、面倒くさいからやらないとかそういう感じならすぐ聞いたほうがいいと。でも、革新的で新しくてぱっと分からないものって、見せてどうかというと否定されるんじゃないかなと。というか見せないと分からない、あと完成形でないときついというか。例えば、ウォークマンを見せても当時なら「家にステレオがあるからそれでいいや」ってなるわけですよ。iPhoneなら携帯とMP3プレイヤーでいいやって僕はそう考えそうかなと。って考えない人もいるんでしょうけど、そこからプロダクトアウトすべきかどうかではないですよね。プロダクトアウトってのは作って出すというところまでがまず込みであるって考え方のことですから。

じゃあそういうマーケットアウトというところでの、マーケットはどこで分かるかというと、これも推測はあるし、データもあるし、でも確証っていうのは結構難しい気がします。なので、データなりリサーチで固めつつも、あとは検証ですよね。そして確からしさの確率をかなり高めていくことで成功率を上げる、というのがより顧客寄り、ユーザー寄りになっているという感覚です。マーケットインも似ていそうですが、もっと検証が甘いか、データやリサーチを信じてしまって検証をサボるという感じがします。例えば本書で「スーパーの店頭で実際において主婦の反応を聴いてみる」なんてくだりがあるのですが、そういうことをせずに(さぼって)売りに出るというところですよね。

そんなレベルなの?って思うかもしれないのですが、これって思い当たる節があって、人、僕もですが、同時にプロダクトとかサービスの開発と、その心理や立場ってことですけど、ユーザー、使う側ですよねを考えることができないんですよね。論理と感情を同時に出せないみたいな。出せるかもしれないですけど(笑)

新規事業を考える人ではまりやすい人は、自分が良いと思うものをシンプルに考えて出すのでなくて、顧客のことを考えるとかって思うんだけど、でも開発したり企画する時に「すっぽり」ですよね、抜けちゃうんですよね。それは同時に考えられないからです。当然ここで同時には考えられないので、開発して作り切るのでなくて、一旦区切ってそこで聴いていくとか、顧客視点で考えるってことですよね。これが難しいのはシンプルに「アイデア段階のものを外部に出せない」とかって縛りもあるでしょうし、「完成形だから検証になりえない」とかもあるのかなと。ここは推測です。ただ、どちらにせよ、そこでずるずる「完成まではとか、出せない」とかってやって、「アイデア」自体の検証がされてないと、リリースするまで、誰もノーチェックでいって、出した時に「え、こんなの誰も使わないよね」ってなりがちです。悲劇ですが、すっぽり忘れると、誰も盲点のまま残るってことですね、そのまま気づかないと。これレベルが低いわけでなく、そうなりがちってことですよね。たださすがになれていくと気づくわけで、経験値が低いだけってことかもしれないし、そのあたりは分からないです(笑)

そして最後に言えば、マーケットってものを見つけることが夢まぼろしではなくて、あるわけですよね。例えば、電車に乗る人っていっぱいいますよね?そういう人は通勤で色々不満があるわけですよね。ないかもしれないですけど。仮にあるとすると?そうです、その人たち向けのサービスが出来るかもしれないと。例えば聴く本みたいな、例えばオーディブルみたいなものありますよね。そのニーズや数はおいておいて、通勤時に学べるならありかなーとかって人はいるだろうと、ならその人達向けに「それほしかった」というものを作るとか、または既に通勤時に聴いてるけど頭に入ってこないとか、それはあなたの経験とかでもいいわけで、自分が感じていれば解像度が高いわけですよね、ユーザーとしての。

例えば本の内容かもしれないし、内容でなくアナウンスの声かもしれないし、スピードかもしれない。そのあたりを例えばビジネスマンが学べる「適切なサイズ」にしたら、もしかしたらいけるかもしれませんよね。これをそうに違いないといって未検証でなく、丁寧に検証してリサーチしてマーケットを確定していくと。あとの売り先は別にオーディオブックサービスでもいいし、そういった本を出す出版社側でもいいし、そのあたりはプレイヤーとか、どういう企業やサービスがあるか次第で考えていけばいいってことになります。

ちょっと長くなりましたが、マーケットアウトってめちゃくちゃやはり大事なので沁みたポイントでした(笑)

くどいですが、顧客や顧客の塊、言い方が悪いかもですが、魚と池とすると、魚がいる池を見つけてそこで釣りをしようってことです。魚がいないところで釣りをしても釣りはできないので、池の探し方を工夫しようとか。または池に魚がいる時間帯で変わるならそこを調べようとか。そういうことを言っています。ちなみに、この池理論は、小林製薬とう会社が面白い戦略を出していて、小さい池をしっかり取りに行くみたいな話があるんですよ。面白いので興味がある人は読んでみてください。

見えない事象や気付きを丁寧に拾えるかどうか

わかってほしいのは、記念切手のように目に見えない利益を生み出している仕組みがあり、それに気づく人と気づかない人とでは差が出るということです。

同上、P.56より

記念切手の話は郵便局における「切手」が実は配送費とか人件費では安すぎるのではないか。他になにかあるのではないかという視点から得られた話です。その是非とか正解かどうかは全然重要でなく、そもそもそういった「視点」に気づけるかということです。

例えば、最近ブルーシールというアイスクリームが本土(沖縄的に言うと)として、本州で見かけます。僕も最近見かけるし、何よりコンビニで売られるようになったこともあったり(途中で見かけなくなりましたが)、販売網を増やしているんですよね。

こういった現象を見た、気づいた時何を思うか?です。これは正解とかがあるわけでなく、気づくかどうか。むしろ、気づくレベルもあるのですが、それってレベルの話でなく、気づけることのほうが大事で、レベルはその後の話だなと。

あくまで僕の妄想や仮説ですが、ブルーシールってアイスは沖縄が主体なんですね。沖縄へ遊びに行くと知ることも多いわけですが、僕も食べたことがあります。そのアイスは当然観光業ですよね、観光地にあるアイスとして成り立っていたと。ちなみに、ブルーシールは確かサッポロの傘下なんですよね。当初は外資って感じかなと思いますが。ブルーシールアイスの沿革

コロナ禍もあり観光業は大打撃ですよね、ということは誰でも気づくと思いますが、では痛手を負った企業がどう出るかというところに、関心が行く人は意外に少ないんですよね。別にそれは人のことに興味がないというわけではなく(笑)観光業自体が非日常だからですよね。あとは、非日常を毎日やっていれば日常ですから、またちょっと違う。という意味で、例えば毎日買っている「野菜」が値上がりすると気づくし大事なわけですよね。

話を戻すと、このブルーシールアイスは出店を本州でし始めたと。それは把握していたのですが、試しに買って食べたんですよ。名古屋では栄なんかにあるんですが、食べて思ったのは「美味しかった」で終わればそれまでですが(笑)、店頭で気づいたのは、ファンシーなブルーからは、女性向けだし、男性が入りづらいと。一方で、パーティーセットという6個入り、12個入りのお土産?的なものが売られていたことに気づきました。ちなみに、シングルアイスは420円くらいで、ハーゲンダッツとかもそれくらいですかね、分からないですが。

アイスってそんな食べますか?という疑問は、愚問かもしれませんが、わりと若い人が、とくに女性が友達と一緒になにか食べる、楽しいみたいな、いわゆる街歩き、ちょっと遊びに行くとかの「非日常」「盛って写真」とか、そういう遊びの一つという感じですよね。

という若者たちがそんな買って食べて消費できるかってことを思ったんですよ。別にこれは論理的でもなく「ふと」思ったと。そして、先のパーティーセットって6個とか12個とかですよ。6個入りは2300円くらいします。これ若者がぽんと買う値段ではない、例えば中高生が買うものではないって思いませんか?小遣いそんなにないですよね。

だからこのお土産アイテムは・・・そうです、錦に近い例えば夜のお店のお土産とか、または営業マンがちょっと買って会社のみなさんにどうぞーみたいなとか、そういう大人向けだと想定されたんですよ。絶対そうとか、そういうことでなく妄想も入ってますが、あり得るんですよね。このニーズ。

となると、このアイスクリーム屋さんを、わざわざ出店する意図が単なる若い人向けのメインターゲットも狙いつつ、しっかり立地に馴染んだマーケティングをしているということが言えるかなと。くどいですが、僕の仮説に過ぎませんからね。

ですが、おそらく、記念切手のように見えないものとは、ここではブルーシールアイスでいえば、パーティーセットの需要ってことなんですよ。パーティーセットって売っているとかは掲示が大きくしてあって、買って欲しいって言ってるんですよ。それに気づくのは当然、それを求める人ですから、学生さんなどはスルーするはずです。なかなか家族に買っていくなんてないですよね、普通溶けちゃいますしね。とはいえ、スーパーのように主婦が買う感じの立地ではないわけで。となると、得られる仮説が、ビジネスマンの社内土産とか、話題としてとか、得意様にちょっとしたものとか、あとは夜のお店でお土産とかですよねってなるってことです。

この見えないというか、少なくともパーティーセットを知っているかどうかで、アイスクリーム屋の売上の立て方が全く変わってきます。パーティーセットなんて別に「アイスを束ねて売る」だけですから、別に商材が優れているとかなんて話ではないんです。ただ、その商材のターゲットや何を意図しているかということですよね。単価がそれほど高くない500円とか600円ですよね、それをお持ち帰りテイクアウトなら3倍4倍にできる。じゃあそういうアイス的なものってどこで他に買うかっていうと、意外に競合は、ケーキとかシュークリームとか、あんまりないんですよね。そうなるとケーキとかもわりと高くなると、一個300円はくだらないわけで、いい勝負になるんじゃないか。真夏にケーキというよりも、アイスじゃないかとか。まあこれは季節ものっていえる部分もあるわけですけど。

こういった気付き、気づけるかというところがこの話の主題です。そういう意味で著者が、差が出ると言ってるのですが、差はいわゆるめちゃくちゃ小さいんですよね。店頭にいたとき、二組の人がアイスを買っていましたが、どちらも女性でパーティーセットは眼中になかったと思えるからです。多くの人はパーティーセットには気づかないんです。だから僕が偉いとか、すごいとかってことでなく(笑)そういう小さい、ただし、差がつくところに気づけるか。店頭でその掲示に気づくかどうかだけでもいいし、それってなんだと違和感を覚えるかってだけの話でもあるんですよ。

その微差が、毎日ですよね、積もっていくと?そうです。めちゃくちゃでかいですよね。例えばこれを、アイス屋さんと言わず、小売店といってもいいし、スイーツ的な販売方法アイデアの一つといってもいいし、学生さん向けマーケティングで単価が上げられないとかの時の切り口になり得るわけですよ。

見えないという、考えないと見えなかったりするということですが、そういうものを考えていかないとこれらは定着しないですし、見えないから知らないってなりそうです。でも、見えることは実は一部でしかなくて、見えないことが多いので、それを考えることが重要といえそうです。

自分が欲しいものをやっぱりやろう

自分が”欲しい”というモチベーションを感じるマーケットこそ、アイデアビジネスを成功させるフィールドです。

同上、P.64より

これはシンプルで、本著でも何度も書かれていますが、自分がターゲットの代表とか近しい存在であるかどうかですよね。それをたまに批判する人がいますが、アイス屋をやりたい人がアイスを食べないとかってなかなか厳しい気がします。中毒である必要はないと思いますが(笑)

僕が欲しいって思うのは、何度も書いていますがアイデアについて考えてその知見や経験を積めるようなそういったサービスです。実はこの手のサービスはありそうでそこまで設計はされてないし、僕もまだまだと思いますが体系的ではないんですよ。なぜかというと、学習とかその意図というか、膨大なんですね。色々やらないと得られないから、なんとも当初の目的を忘れたり、短期的に出来るものではないというか。

でもですね、技術とか鍛錬である程度は出来るという確信はあるので、そこをどうロジックで固めるか、経験と知見をためていくと出来るんじゃないかってことがあるので、ここは粘っていきたいわけです。当然それは、僕が楽しいとか、面白いって思っているからやり続けられます。でないと、とっくに辞めてます(笑)

もっと違う視点でいえば、楽しく考えてアイデアを出すみたいなことですよね、そういう世界観をもっと伝えたりとかって大事だなと。楽しいことをやろうってことでもあるんですが、それだけだと単一的というか、色々な行動や思考が省略されるので、楽しくて考えてアイデアが出てそれも回っていく、循環ですよね、ループというか、良い循環の発動とか起点がたまたま楽しいとかだった、そんな感じで考えると良いかなと思います。

桶屋理論を使ってどんどんフレームを外していく

新札が出たときも年金が問題になったときも、ほとんどの人が単なるニュースとして、聞き流していました。でも、桶屋理論で考えることができる人は、そこに大きなビジネスチャンスが生まれていることに気づきます。

同上、P.82-83

桶屋理論とは、風が吹けば桶屋が儲かるってやつです。これは理屈なんだけど、まあその事柄の積み重ねとか、連続性って意外に適当で、最終的にスタートと最後を取ると、全然関係ないところから結果につながる、みたいな話です。

要するに物事に関係していないことはない、ってやつで、このあたり共通事項とか、ビジネスモデルとかでもなんでもいいのですが、鍛えていかないと得られないところだと言えそうです。

今日みたニュース全てにツッコミを入れてもいいのですが、それでは疲れるはずです。そこまでしなくてもいいのですが、これなんだろう、どうしてそういうことが言えるのだろうか、って批判的に、複眼的思考ですね、色々な視点で考えると、ニュースも全然違って読めます。それが事実なのか、意見なのかでもいいですし、この視点が欠けているし、気づけてない人がいそうとか。そういえばこのネタ自分のビジネスにも使えるような気がする、またはお客さんのヒントになるような気がするとか。そういうことは僕も日々起きています。

具体的にいえば、僕では最近はメタバースというか、ちょっとした狭義といえますがメタバースツールで遊んでいます。それはいいのですが、それによってメタバースという感覚がわりと「馴染んで」きた気がします。ただこれが日常となるかはまた別問題でして、例えばリモートワークが出来るとかそういうリアルの働き方があるからです。つまり、メタバースという異空間やバーチャル空間の振る舞いではあるんだけど、それはゲームのようにそこで完結するというよりも、現実世界とリンクしたり、そこと差異や凸凹がないというか、シームレスってことですよね、そういう心構えや現実を加工することも大事になると。

これは極端にいえばマトリックスの世界です。どっちがリアルか分からないと。僕はリアルが今まさに文字をタイプしている自分だと思っていますが、それも脳的に脳だけで処理ができれば、メタバース空間で生存しそこでそれこそおカネを得られればそれで成立しちゃうので、どっちか分からなくなるはずです。ただ問題はこれは身体性は消えるので、アイデアも出ないでしょうし、生理的なこととか、身体の衰えとかになるので、まだまだ非現実的ですよね(笑)ただ、統合していく流れが実際にある時、これらはもっと課題になるはずで、どういう感覚かどうかを考えている人と、そんなの関係ないよなーという人では差が生まれそうです。気づいた人が偉いとかってことではなくて、単に気づいてない人より早く動けるし、深められるってことです。当然その差異は違う結果になるわけですが。

このメタバース系のソフトが今後どうなるかなんて予測はできないのですが、リアルが変化していくという相互作用があるとすると?そうですよね。例えば宅配需要はすでに様々にあるのですが、リモートワーク需要としてもっとリモートワークに適したアイテムやリフレッシュ=タバコ休憩の代替のようなアロマを吸うみたいなものとか、色々出てくると思うんですよね。当然ここで仕事の仕方も変わるので、メタバース営業みたいなのも出てくるかもしれないですし、このあたりは新しいものが形になってくると面白いなと。

それが桶屋理論というか、ある種なにかが始まってどうなるか分からないわけで、そこを考えてどうなるか動いたり試したりすることが大事という話になります。

ただ、はやりにものを全部やれとかってことでもないし、それは興味もあるので誰もが時間は有限ですから、取捨選択すると。そこに効率を求めるとおかしくなるわけです。桶屋理論なんてめちゃくちゃ非効率ですからね(笑)ただ、そういった気付きに効率性を求めることはナンセンスってことが直感的にいえますし、非効率で色々なにか感じること、微差を得ていくこと、蓄積が必ず自分に役立つという感じがします。

フレームって書いてますが、やはり普通に考えるとわりとそれっぽい枠にハマるのであなたが気づいた、オラオラ理論でいいのでそこで考えていくほうがエッジがきいてて面白いですよね。もちろんそれが出来るとか出来ないはまた別ということで。ここではそのオラオラを鍛えればフレームは壊せるし、外せると。

当たり前を疑うフレームを作る

誰もが当たり前と思っていることを、僕はいつも「まだ新しいアイデアはあるはず」だと考えることが癖になっています。

同上、p.95より

フレーム問題とは、フレームという固定概念があるのでそれによって人は考えられるけど、同時に特定の考えにハマってしまうことです。ただ、フレーム自体は勝手に生成されるので、ここではメタ的にいって「当たり前」であるフレームでなく、「当たり前を疑う」フレームと書いてみました。

他にもできるんじゃないか?そうは言っているが本当かな?と、これは読者でもあるあなたにもそう思って欲しいのですが、僕が書いていることが本当かどうか、そうっているがおかしくないか?そういえる部分もあるがそこはどうだろうか?と批判的に読んでくれることを期待しています。

ここで僕が思ったのは、アイデアを出すとかだそうとするというフレームというか、慣れがないと、先の話と一緒で「ニュース」も「出来事」も「自分が見聞きした」ことも、スルーされるというか、通り過ぎていく気がするんですよね。なんというか、毎日がスルーされていくと、あっという間に過ぎるわけですが、それはいいとして、引っ掛かりがないので、フックがない。フックがないので、今日と明日もですが、明日と明後日も一緒となり、365日が毎日同じとなる。これはまずい気がします。

例えば勉強なら1日目と365日目は全然違っているわけですから、成長しないとダメとは言わないのですが、なにか気づいたり楽しかったり、面白かったり、こういうことがあったという「非日常」もある程度ないとやはり退屈なわけですよ。そういう退屈性を楽しむということもできますが、玄人向けですから(笑)そこはスルーしてもらって、やはり毎日同じってなかなかですよね。そりゃ、平和でないなら平和を望み、何事もない日が良いってのはわかりますが、ここでは文脈的にずれているのでこれもスルーします。

何か違う視点があるのではないか?とやり尽くしても諦めないみたいなことって、気質は多少あれど、癖かなと思います。僕は毎日何かないかって探しています。何かないかって、面白いこともですが、違和感とかです。どこかに落ちているというと「正解」があるとかでなく、何か気になるものはないかねー?って感じの観察を日々楽しんでいます。だから、余計にフックがあるし、引っかかるし、持ち帰ります。それによって楽しく毎日を過ごす事ができるので、ネタもあるし、そこからアイデアも出せるよってことになるわけです。

これを軽んじる人はアイデアが出せないわけですが、それが大事だなと一瞬でも思ったらすぐ何かやってみてください。ここでそういう蓄積はアイデアの源になるのですが、それは色々なものごとを紐づけるようなこと、桶屋理論でもいいですし、自分の経験や知見を可視化すること、思考を可視化して説明するような言語化を鍛えたり、様々なことを鍛えてくれます。実はこのような力には名前がなかったりして、総合力となってなりがちです。ただあえていえば、毎日を面白がる力みたいなのになっていくかなと。毎日がつまらんみたいな人、または自分にもそうですが、卑屈になったり、誰かを嫉妬しまくっているところではアイデアってやっぱ出なくて、あとは引っかかりが悪くて、楽しさが楽しさを生み出すって感じがしますよね。

人と自分は価値が異なる

人によって、価値基準が異なる

同上、p.111より

この指摘はごく当たり前だと思うのですが、一方でアイデア出しが苦手な人はおそらく、皆自分と同じ様に考えるのではないか、って考える人がいるのではないかと僕は仮説を持っています。実際にフレームですよね、僕と同じ様に考えるであろう、は結構怪しい。少なくともそういう考え方をしても、そのようになるだろうまでは言い切れない、という態度が「適当」かなと考えるわけです。アイデア出しが面白いは僕の感覚でしかなくて、それが他の人に言えるかは怪しいとかって感じですかね。だから押し付けることってできないし、成り立たないんですよね。

ここで、人によって価値基準が異なるとは、あなたが欲しいものと、人が欲しいものは違うでもいいし、欲しがる部分が違うと。本著でも色々書かれていますが、他の例で考えてみましょう。

例えば、Wordpressという技術で本サイトは作られています。こういったWebサイト、ホームページを作れる技術があると嬉しいとか、楽しいとか、身につけたいって人は色々いそうだって想像が出来ます。ですが、Wordpressを身に着けてサイトを作りたい人だけではなくて、そんなの面倒くさいとか、そもそもやりたくないって人はいますよね?ということも想像できます。

つまり、僕がWordpressを使えてサイトを作れるのだという価値があるとして、そういう価値をみんなが持ちたいわけではない。つまり、Wordpressを使うとか習得が面倒な人は色々いるわけで、そういう人がまさにサイトを作りたい時に「自分で習う」わけでなく「人に依頼する」わけですよね。このギャップをどう考えるかですが、ネガティブなことをいえばこの違いを「罪」であると考える人はあまり商売がうまくいかないはずです。

つまり、罪とは、ここでは「自分が習ったことや得たこと」でお客さんに喜んでもらうのはいい。ただその時、喜んでもらうことはWordpressでやれることで十分なのだけど、それを自分は楽しんでいるし、それ以上ではない。そこにお客さんからお金をもらうのだけど、楽しんでいるのに貰っているって何か悪いので、値下げしたり、むしろ貰わなくてもいいのかなと思ったりする。というギャップをプラスでなくネガティブに曲げてしまうって感じです。

これもありそうですが、自分が価値と感じることが、例えばWordpressでサイトを作れることが価値であるわけですよね。ですが、お客さんからみたら作れることは価値ではないと。作れる価値はあるんだろうけど、お客さんは「作ってもらえる」価値はあるけど、それ以上でも以下でもない。

もっといえば、お客さんは習って学んでWordpress楽しい、サイト作成が面白いって価値はないんですよね。なぜなら学習してないし、そうしてないから。それだけです。

この価値基準は多くは商売ではギャップがあるわけで、それをお金だったり、色々な尺度やものさしで見つつ取引となっている気がします。

ここでは簡単な商売の話ですが、価値基準が自分とそもそも違う人がいないと、色々と成り立たないともいえます。たまに「スキを貫くと他の人が成り立たない」っていうことを言う人がいませんか?あれは一理はありそうです。例えば多くの人がやりたがらない仕事があるとかってやつですよね。でも一方でそれは報酬が高くなるとかはあるわけで。それだけでバランスが絶対取れるってこともないんですが、一応そうだと。

それ以上に、僕が好きということが他の人も好きとかはあるのだけど、例えば読書ですが、この読書もその人の読み方があるので、共通項はあれど、全く同じ読書の好き基準があるとは考えにくいです。だからこそ、人は違っているという前提で、好きを考えていくと、まあそもそも一人ひとり違った仕事、もっといえば仕事の仕方、さらにいえば、仕事の仕方の感覚も違うはずなんですよね。はずなんですが、そのフレームというか、固定概念として「この仕事はこういうものなんだ」とか「この仕事は自分には辛いに決まっている」とか、もちろんブラックなのはダメですけど、そうでない範囲で色々言えることが「普通」は多い。はずなのにそこに蓋をしてしまうことが、まさにフレームって感じですよね。

この価値基準が異なることは、意外にそう言われても気づかないし、気づいてもそこにアプローチするとなると、また感覚が違うかなという感じがします。これは信条みたいな話かもしれません。ただ人と自分が違うという前提でいって同じこともあるよなーというところなのか、同じという前提でいって違うこともあるよなーというところで、その前提が違うだけではあって、あとは誤差という感じがします。差分というか。

実際に、同じであるという前提が強い人は違いに耐え難いので、同じであると考えたいんですよね。それは分かるのですが、実際に違うことも多いのでそこでギャップを感じるか、目をつぶってしまう感じもしますよね。でもそこにフレームがあるのかなというところです。違いが前提の人は実は同じであるとそこでスルーするわけでなく、ありがたいな(笑)みたいになって受け入れれる気がします。不思議です(笑)

ただこれって、冷静に考えると世界を見ていって違うんだなというところが分かると自ずと色々と「価値基準が異なる」ことを発見するわけで、そこにいくまで時間がかかるのかもしれないですよね。

何を選んで、どう重ねていくかということで人生が決まる

目的を達成するのは、”選択と組み合わせ”です。自分が楽しめるものを選択し、効率のよい組み合わせを考えてください。

同上、P.147より

最後はこれです。この選択と組み合わせを僕なりに解釈すると実は重ねではないかなと思ったんですね。

つまり、どういうものを選ぶかって人によって違いますし、さらに選んだものでどう組み合わせるかも違う。重ねとは、自分が今ある知識や経験に対して被せることで、より強化するみたいなものです。これが絶対ではないですが、そうすると学びも楽しく強化されつつ、そこまで不安もなく進めるみたいな姿勢とかを指しています。

昔やり取りした人で、将棋の鍛え方、学習の仕方について教わったことがあるんですね。その中で話として、まさに将棋の戦略であったり、考え方は人生にも応用できる、と感じました。一方でその将棋が上手い人(少なくとも僕よりは遥かに)は、人生に適用する視点が完全に抜けていました。それを落ち度ということではなく、人ってそういうものだろうという話です。

つまり、知識と経験として、将棋におけるそれらはあれど、リアルの人生における経験と知識が若い人であれば少ないですよね。だから若者がどうということでなく単純に分からないし見えないのではないかということです。実際に、ここで将棋でいう理屈を人生にも適用させるというアイデアはそこでは評価されました。ただ、それができるかどうかはまた別問題で、その方ができるかは分かりません。とはいえその方向性は面白いってことです。

ここで、将棋における将棋という好きとか楽しいことですよね、その方における選択は将棋でした。そしてその組み合わせが、リアルと組み合わせないとか、リアルにおける話にしないと、バーチャル空間の将棋というゲームだけで終わってしまいますよね。だから趣味を現実に活かすのが良いというわけではないです。ただ、それをどう選んで組み合わせに仕立てるのかってことかなと考えています。

僕で言えば、アイデア出しも、このアイデアを出すことを選んだのは明確ですが、どう組み合わせていくか。それこそジャンルはビジネスとしていますが、それ以外でもやるのかどうかとか。学びの重ねは先程話しましたが、シゴトづくりも何をテーマにしてどういうところで動くか。

例えば、お菓子作りが好きとしてそれを極めたいでもいいし、色々なお菓子を作るのか、シュークリームマスターになるのか。それとも映えるスイーツを作るのか、食べられそうだけど食べられないスイーツにするとか、そのアイデアはまさに組み合わせです。その選択と、まさに組み合わせとはアイデアそのものですから、そこでシゴトづくりそのものとなるし、実践でもあるといえるわけですね。

ここで効率が良いというのは、効率をものさしで測る唯一の尺度みたいなことではなくて、単にあなたが、好きなら色々やれるし、かつ近しいことならどんどんやれるので、そういうことを探してアタックしたほうがいいってことに他ならないと感じました。そうしないと、人生において時間は短すぎるわけで、色々なことって出来ないんですよね。色々なことっていうけど、多くは色々なことをやってみたいという感覚でしかなく、実際には1,2個やれば満足するなんてことがザラにあるからです。人は自分の感覚を正しく表現できないといえばいいかなと思いますが、それくらい不安定です。

だからこそ、自分が好きなものがブレることもあるけど、好きだなーとかなんかやっちゃうなあとか、楽しいなあとかってやっぱ理屈ではないんですよね。感覚です。そこに理由を無理につけなくていいのでそれを大事にすると。あとは、そういう大事にしていく中で、これとそれとか、重ねたりするとなんかより楽しいよと。それこそ、読書なら誰かと共有すると楽しいから読書会しようとか。そういうことですよね。読書会でお金を得るとかって考えるよりも仲間づくりをしていくとか、さらにそこで新しいアイデアや人に出会って違う企画を試すとか。そういうイメージです。時間がかかるからダメなんて思わなくて良くて、全ての事柄、試すことが経験となり血肉となるわけで、まさにそういう仕込みや鍛錬がものすごく価値となると。その結果、シゴトづくりが目的なら、多分仕事は何かしら作れるんじゃないかって感じました。

人生というと大げさですが、その選択、進路選択とかそうですよね、そしてその結果どうするか、次はどうするとか。その連続であり、継続ですよね、まさに人生だなと。そう考えると、誰もが人生で選択して組み合わせているとも言えます。だから、ビジネスもシゴトづくりもですが、そのまま普通にやるという話でもあるし、誰しもがやるという感じで捉えても面白いかなと。

おわりに

長くなりましたが、再読の気づきは以上です。

今回は文章を引用して気づいたことをざっと書いてみました。

気づきがある本が僕は良い本であると定義すると、この本はとても価値があります。すでに本代はとうに回収していると思いますが、さらに投じた額以上の気付きを得つつそこからビジネスとかアイデアとか生まれるわけなので、さらにさらにというところです。

この本があなたにとってどうかはあなた次第ですが、あなたにとって読むと知恵や勇気、気づきを与えてくれるものはぜひ大事にしてもらって。そしてまあそれが人から見てですよね、大したことではないというのも勝手ですからね、そこはスルーしていいと思います。僕が面白いとい本も全然価値が異なれば面白くない人も沢山いるわけです。

その違いを楽しんで、あとは価値が違うから論争だ(笑)みたいなことでもなく、そういう人もいるかなというところで、受容できればさらにビジネスの視点もぐっと上がるかなと思います。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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