一次情報を増やしていくことでリアリティを増やす

これは相対的に二次情報を減らすとかってことですが、一次情報ってなんだろうねというところから、考えていきます。

リサーチとかではわりと必須として語られそうですが、そもそも体験情報が不足していると、リアリティのある、実現性というのはごそっと落ちちゃうので、二次情報だけは全くおすすめできません。

というよりも、二次情報だけとは、わりと人間らしさという根本的なものを失っているので、成立しないという感じですね。

一次情報を増やす

例えば、ニュースとか、色々な記事を見たりして、気になるサービス、会社があるとします。

僕の場合は、さらにIR資料もみて、売上や基本的なビジネスの仕組みを理解しようとしています。わかりやすいものもあれば、そうでないのもあるので、そこで分かる分からないはあまり気にしてません。

つまり、自分で調べて情報に当たったことを意識しています。こういうのは数としてやっていれば、そのうち定着して、何度も擦る(何度も情報に接すると勝手に覚えるとか、これ何か似ているなとか、関連知識が増えいていく感じ)ことを意識しています。

一次情報とは、自分の経験、体験、直接見た、聴いた、感じたことを指します。だから、新聞のニュースは二次情報なんですが、それがファクトや事実であれば、ほぼ一次情報かなという感じです。まあこのあたりは人によって異なるかなと思いますが。

それで、じゃあニュース見たから一次情報得たはちょっと乱暴かなと思うので、1.5次くらいですかね(笑)そこで、そのある内容や情報を自分で調べると。そういうのが良いかなと思います。実際は全部調べられないよとなるとか、強弱や優先順位があるので、どれを調べていくか、体験するかとなります。

ちなみに、ここで優先順位といったのはこれはキリとか正解がないことは言うまでもないです。例えば、ある日に5つのニュース気になったとして、3つのニュース調べて、2つのニュースはそこまで見なくていいかといって調べなかった。ここに正解はないです。次の日は・・・といって毎日これが繰り返されます。

ということは、明らかに毎日や日単位で考えると、それだけで終わる気がしませんか?つまり、では、3つのニュース調べたやつはどうなったと。他の捨てたニュースというと言い方が良くないですけど(笑)調べなかったものは駄目なのかとか。まあそうではないですよね。

短期的に優先順位があったときに、それが日単位だとすると、月単位とか、年単位、もっと長期視点で考えると実は得た3つのニュースはずれていたかもしれないわけですよ。

とどのつまり、短期視点で得た良いなと思ったものも、長期では異なると。逆もまた然りです。短期長期で両方合致するのもありそうですが、これは一石二鳥的であり、やはり一つのものからどこまで得られるか、気づけるかって話になっていくかなと。

ちなみに、この擦る時に、「どうしてもなんかしっくり来ないな」というのは楽しんでないとか、面白くないとか。義務感とか、誰かにやらされて情報収集をしている時ですかね。もっと違うのもあると思うのですが、要するに自分から取りに行ってないという時、まあ楽しくないはずです。そういうものは身にならないと思うので、ここが難しいところですが、その収集自体を楽しめるといいですね。そこが出来てないと、擦ってもストレスだけ蓄積するかもしれないなというところです。

間接的な二次情報に頼らない

ここではさじ加減やバランスなので、二次情報が全部駄目なんて思わないです。ただ、構成比として二次情報が多いとまあ結構つらいです。

具体的に僕なら、アイデア出しにおいて、非常にリアルに体感することを書いてみます。というか、僕が感じたことなので、全てではないですが、単に二次情報だけだとネタがなくて何もアイデアはでません(笑)って話です。

二次情報だけでは合理的にいえば皆同じになる

情報収集するメディアなどが重なるとします。そうするとそれらだけを整理したり統合するだけでは合理的にまとめると、みんな同じ意見というか、考えになります(笑)悲しいですが、これはあまり価値になりづらいです。

もちろんそれらを二次情報を知りたいと言うのはありえますが、これって多くは「まとめ」という分類で、まとめ自体に価値はなくはないし、それを収集してまとめたのは偉いわけです。でもそれ以上でも以下でもないという感じです。

僕の場合はそこで二次情報まとめました、がアイデアということにはなり得ないので、それは何を意味するか、どういうことが言えるのかを読み解く。またはそこで考察するか、違う視点として切り出すなどの加工が必須です。必須というよりもしなければ、単に情報となるので、お客さんが知らないならば「知らなかった、ありがとう」とはなります。でも、知らない情報を出し続けることはしんどく、また目指すべき価値づけではないということです。

よって、二次情報だけではきついわけです。3次情報的なそれらのまとめはさらに噂みたいなところなのでここでは扱わないです(笑)

何かアイデアが出ないなという時は大体一次情報不足

リアルに体感するのは、一次情報がないとそもそもアイデアが出てこないというわけです。当然知らない領域のことは調べていきつつそこで知見としていくのですが、とはいえそれだけではまず無理です。

また、アイデアを出したくても、一次情報がないとリアリティがないわけです。リアリティとは、現実的であるとか、社会にありえるとか、確からしさみたいなものです。これが高いから必ず良いわけではないのですが、現実的でなければ、それは一体なんなんだ?となります。空想が悪いわけでもないです。非日常的なことが駄目ではないですが、それがリアルに想像できないなら、アイデアがドラえもん化するというか、SF的であって、それは面白いね、でとどまるイメージです。

もちろんそういうことを求める局面はあったとしても、やはりごくごく一部でしかないわけです。

よって、基本的に一次情報として体験や自ら考えたこと、得たこと、見たこと、調べたこと、などが財産なわけです。

基本的に、実践として、一次情報でカバーできることは少ないので、濃い目の情報として一次情報を増やす。ただ少ないので、二次情報でさらに広範囲を補う感じです。ただ二次情報って当たり前ですが、自分から離れていくのでリアリティが薄いわけです。情報として薄いけど広いみたいな。

よって、

一次情報は深くて狭いものを増やしつつ、二次情報として浅くて広いものを増やす。

というのが実践的なアイデア出しにおいて、または僕の仕事において必要なこととなります。

想像することで未体験も想定可能

例えば、美容です。僕が女性の美容意識についてはやはり当事者でないので「分からない」んです。ですが、そういう当事者意識が絶対持てないかというと、比喩や違う体験で置き換え可能と考えています。ちなみにこれは限界があるものの、人間というところで共通点はあるとか、欲とか似ているものがあるという、類推に近い考え方です。もちろん絶対分かるみたいな感じでもなく、絶対分からないわけでもないという曖昧さは残りますよね。

例えば美容意識みたいなところで、肌を大事にするというところが分からないとします。例えば紫外線などUVケアです。例えば日焼け止めを塗るなどです。ですが、これがガンの予防になるとかになると、健康を害することはNGなわけで、そういった簡単な想像で分かります。

もっといえば、意識を出来ないとは、そこへの価値付けがあまり高くないからです。例えば紫外線の日焼け止めクリームを塗るなら、日傘の方がいいとか、服でUVケア出来る方がいいとか、違う意識感があると想うんですね。または価値としては、例えば運動はしたいし、外で焼けることに価値を置いている場合、日焼け止めってなかなか矛盾するとか。

いずれにせよ、日焼けすることや紫外線を浴びることをどう捉えるか。そのあたりを考えていくと、一定程度の共感、または想像が可能だと考えています。

くどいですが、全部想像できるとか、全ての人の事がわかるは傲慢でしかないので、そこは謙虚な方が良いと思います。その想像出来る解像度の限界みたいなものがおそらくあって、ある程度出来る、または一次情報があるというところで、補っていくというイメージです。

社会の解像度を上げるというのが良さそう

僕の隠れミッションというか、意識付けとして、社会の解像度を上げるというのがあります。これは、人々のではないですよ(笑)僕が社会に生きる人の解像度を上げるという意味です。

主語は僕で、生きる社会が対象で、そこに生きる人々を知るみたいな、とても社会学っぽいというか、なんというか分からないですけど、そういうイメージです。

全く分からない人もいるわけですし、出会わない人もいるわけですが、社会というか、まあ国家でもなんでもいいのですが、共同体に生きるというところでは、想像していきたいなというところがポジティブにあります。というか、それくらいであって、なるべく理解したいというところです。

無理なものは無理ですが、無理という理解ができるだけでもいいじゃないかなというところです。このあたり、悟りとか情緒をどうするとか、理屈を超えたものがあるかもしれません(笑)

要するに、色々な人のメガネですよね、視点、見方といっていいわけですが、得ようとした方がいいよねということです。そうすると、違う人からみたらまた違う社会が見えます。それって全く想像してなかったことが普通にゴロゴロあるわけです。そんなことばかりですが、だから自分がどうこう言わずそれを受容していくしかないかなというところです。

おわりに

こういう話をすると、その情報をどれくらい入れるかみたいなバランスの話って出ませんか?そうでもないですかね。

僕の場合はとても身体的にやっています。

例えば、仕事としてアイデアや色々な企画を考えていくわけですが、一次情報が不足するとまあアイデアが全然リアリティがないなと直感で気づきます。それを繕ってみてもまあハリボテというか。そんな感じです。ハリボテが欲しい場合はありですがそんな局面ってまずないですから(笑)

そこで気づいて一次情報を得るのもそうですが、二次情報は置いておいて、離れていた、つまり遠くになっていった感があるわけです。感覚的にいえば「頭だけで考えている」感じですかね。これは頭だけでなので、現実的ではない、ずれていたり、または明後日感があるイメージです。

だからこそ、一次情報で主体、僕や生きている人に戻すイメージです。スパイスというよりも、出汁みたいなものに近い。本質ですよね。そうやって統合することで、混ぜることで、リアリティがあるものになっていく。ある種の料理をやっている感じですね。

というのが身体的、直観的に分かるので、そこを信じてます。もっと理屈というか合理的にやれるかもしれないのですが、あえていえば、時間です。ただ時間も練ればいいわけでもないので、情報量が多くても同じ切り口では価値が弱いですから、なんともなんですよね。

切り口の数、視点の数があり、かつ深みがある(考察されている)ならば、そこは良いと言えそうですがこれもわりと主観的ですし、あと論理的なものではないと思うのでなかなか合理的には決めてない気がします。

よって、その情報数とかバランスですよね、かなり曖昧です。沢山求められるならば、やはり増やすでしょう。また時間があれば一次情報を蓄えたりとか、そこは臨機応変にやっています。

少なくとも決められた時間とか目安とかはないので、仕事的にいえばクライアント側がOKを出すレベルに達しているか。というのを想像していくしかないですよね。

というわけで、一次情報を増やしていくとリアリティが増すという話でした。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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