居場所だと思わないなら卒業しよう

職場でもいいですし、コミュニティでもいいですし、そういう場、所属ってありますよね。他にもイベント参加でもいいし、色々とあると思います。

そういう時色々とズレてきて何か違うな、という時、大体直観が正しいです(笑)つまり、どちらかです。あなたが小さくなったままで違和感を感じて居続けるか、そこを去るかです。

僕は去る選択肢を取るわけですが、それって基準があるんですね。評価的なそういう指標ということでなく、僕の場合は面白いかどうかを大事にしています。そういう話を書いてみます。

新卒で入った会社を辞めた理由

起業をするのでーということを直属の上司はものすごく良いというか、判断と選択を褒めてもらいました。もちろん会社としては惜しいというところはリップサービスでも嬉しいですよね。ただそんなリップサービスをするような人ではなかったからこそ、嬉しいんですよね。

さらに上の上司は、なんで起業なんかしたいのだと、なかなか話を聞いてくれませんでしたね。考え方の相違以上にあまり話ができなかったところでした。

確かに事実として当時もですが会社を辞めたのは起業をしたかったは正解なのですが、今のような時代ではなくても副業でとかは可能でしょう。むしろ安定するかもしれませんよね。でも、実際は僕の中では、週末に様々なイベントや社会人と合うことでどんどんその選択はなくなっていったんですね。

起業をするのが正解かどうかというのはもちろんなくて、どこまで「見ていけるか」というところでした。めちゃくちゃ怪しいビジネスまがいの詐欺をやっているような(笑)人達もいましたし、誠実に自分なりのビジネスをやっている人もいました。そこで見えたのは、自分で考えている人は失敗もあれどやはりそれなりにその人が納得するところに落ち着くんだなと。むしろ短期で見ればうまくいってないようにみえるんですよね。だからそれが失敗だと思ってしまう。けどそれは罠だなと。

なぜならそういうトークこそ、すぐ・らくに・もうかるみたいな(笑)詐欺の温床だからですね。それだけいっても人は甘い言葉に弱いですよね。

そうやって起業をしていったほうがいいか分からん!みたいなところになりつつも、僕は判断をしました。実際には会社にいても学ぶことが色々限界となっていて、プログラミングもシステム開発もなんか自由度がなかったんですね。もちろん若気の至りなり知識不足とか経験不足とか色々言えるんです。言えるんですが、直観は「ここを去る理由でなく、いる理由はなんだ?」というとき、結構しんどかったです。つまり、「学びがない」というとものすごく上から目線ですけど、僕の中ではそう感じたのが事実です。文字通り学べないならいる意味がないな、僕でなくてもいいよな、というところになったわけです。

だから、辞めた理由は、起業をしたい以上に体が求めてなかった、そこに居続ける理由がなかったというのが大きいです。そしてもっと学びたいし色々やりたいと思ったのも事実です。ここで問題は、そういう時に居続ける人を否定するわけではないんですね。面白いのは「僕のような選択を出来ることを羨ましがる」人が一定数いたことです。実際には羨ましいとは自分の状態や変化をせずに外を眺める感が強く、それは何も生み出さないよなあという感じですよね。その通りで、そうやって「羨ましがる」人こそ、ただ話を聞きたいだけで、ある種珍獣扱い(笑)のような気もしました。まあその場で話すくらいはいいけど、長く付き合えないタイプであって、その通りですよね。

だからこそ、会社組織自体に居続ける理由なんて多分多くの人はないんだと思っています。好きならいいしやり甲斐があるならいいと。でも、直観とか内なる声ってやはり無視しないほうがいいですね。しないと、メンタルをやられることもありますし、それって個人の感覚もあるので押さえることでストレスになりますから。

だからそこは慎重であり大胆に考えると。そういう意味で居場所じゃないな、ここじゃないなと思ったら動くのはありですね。当然それを1回考えてすぐ実行もありですが、何度かやった上でGOという感じですね。僕は自分を慎重派だとすら思ってますからね(笑)あなたがどう感じるかはおいておいて。

そんなことを言うやつは友達じゃない

友達とはなかなか深い関係性ですよね。最も友達の感覚は様々なので、一回話したら友達とかはさすがにきついですけど、まあ色々あると。

そういう時こそ、直観が大事です。

人間関係の整理というとドライな感じがしますが、やはりこれはある友人が言ってたように定期的に見直しは必要でしょう。毎年誰かと連絡取らなくするとかそういう感じでなくて(笑)なんかこの人違和感があるなあと思ったら遠ざけるところですね。近づけないというのが近い。

実際に人は合わない、話さないだけでかなり距離が遠くなります。最も厄介なのはぐいぐい来る人ですけどそれでも物理的距離、精神的距離、様々なハードルを設けることでなんとか回避できます。人によりますけどね。連絡先を削除するでもいいし、無視するのでもいい。これも人によりますけどね(笑)

そういう中で、僕が違和感を感じた時はそれに従って行動することが多いです。いくつか例を挙げてみます。ただこれは正解ではもちろんなく、僕がそう捉えて判断したということです。

1つは、コミュニケーションエラーです。打算的といっていいでしょう。僕はこの打算がとても嫌いなようです(笑)確か会話としてイベントをやることが多かったりして、そういう時に色々な人を誘ったりします。その時豆に返す人もいればまったくない人もいます。それはそれでいいのですが、ケチをつけられたなという経験がいくつかあります。ケチとは、言わなくてもいいことという類のことです。つまり、文句や不満でもないが、とはいえ相手はそれほど気にしてない、その上でこちらは気になったということです。それは小さいことでもありますが、やはり気になります。

結果的にこういう経験をすると、例えば飲みに誘うことを1回、2回するけど確実に断られる感じがするなら誘わないですよね。みたいにやはりもう誘わなくなりました。これってまあ自然なことなのかなと思っています。

その上で、逆にそういうやり取りがあった上で、相手から誘いがあるパターンです。これは誘っていて毎回断るけど、断ってくる人が誘ってくるんですね。なんともモヤっとする話です。丁重にスルーすることで事なきを得ました。

もう1つも打算例です。それは初めてに近い人と話しが盛り上がって応援したいというところでした。一方で応援というのも色々あるわけで、信頼とはなかなか形成されるものではないでしょう。お金を無心したわけではないが、実質的にはそう捉えられました。それは僕の中ではありえないことなので、まあそれで関係性は終わるというところです。

僕が一方的にどうということはなく、逆もあります。つまり僕が上のようにやらかしたかもしれないことも多いですよ(笑)それはゼロではないし、ありえるけど、そもそも「おいおい、それはないんじゃない?」というところまでいくかどうかです。このズレがあればあるほど辛いので、あとはどこまで信頼があるかですよね。

つまり、こっちも痛いが言えるかどうか。その感覚です。そこまでの付き合いでないなら去る方が楽です。たまにそういう関係性において関わっていると得するかもという考えの人がいると思いますが、それこそが打算です(笑)打算的な人はそういうふるまいが可能ですが、僕は無理なので、打算はちょっとねということでした。

もちろん、何かメリットを提案したり、良いことを考えるのはありですよね。打算とはわりと一方的に自分だけが利益を得る行動ですね。多くは僕にはメリットはないですから。メリット・デメリットで人を選ぶかどうかは、実際にはそういう話が脳内にあがってくる時点で色々終わってると。多くはそんなのなくて「おまえさんならしょうがないな」とかそういう感情が出るものですから。そうでないのはよほどなんだろうと感じました。

これもある種、関係性の居場所というところかと思いました。違うな、これはまずいなと思ったら距離を取りましょう。距離を取るはわりと誰でも持っているし出来るオプションだと思います。

そうするだけで色々と得られることがあると。

おかげさまでというか、そういう関係性はクリアになって、より関係したい人との関係が充実すると考えられるんですね。関係性だけでなく自分の時間も使えるし、そこは超重要ですよね。

意識しなくても自然に解散する

僕の中で自然解散は多かったです。明示的に解散というのもありえますが、多分緩やかに繋がる人ほど自然に、それもつながらないことが自然ということですよね、なっていくんだろうなという感覚があります。

ある企画は数年やって友人らでとくに決めなくても自然とやらなくなっていきました。あるイベントもメインの自分もそのうちの一人でしたが、進路であったり動きやライフスタイルが変わることでなくなっていきました。

そういう自然という感覚はかなり面白いと思っています。いきなりではないけれど発生していって、それは発生するが故に消えていくという感覚ですよね。

逆にパワーを割けなくなったら解散でもいいんですね。悪い意味でなく自然なので良いのかなというくらいの感覚です。実際に割けなくてもなんとかギリギリのところで維持はありえます。けれど、実際は人は変わるし、変化していく中で色々とコントロールやメンテナンスが出来ないこともあります。

そういう自然解散が駄目とか、強固にコントロール出来るとかはなくて、結構人、組織や仕組み次第なんだろうなと。お金で縛ることができると考えたり、征服欲(笑)があったり、色々な欲求や欲望があるわけですけど、そういったものをそこまで隠さずとはいえ、やりすぎずとなると結構自然になるものかなと。中庸ではないですがバランスを取りつつ生きていくと丸くなる感じですね。

人ともそうですが、連絡取ってないことすら忘れているとそのまま終わりますよね。もちろんそこであえて連絡を取るのもありですが、そこで取りたいかどうか。良い記憶や感覚が手触りとしてあるかどうか。それくらいですよね。それも自然な感じがします(笑)

コミュニティや所属もその感覚でGO

色々なサロンであったり、イベントの場とかあったりします。人がいることで色々な組織や仕組みを垣間見えます。そういう言葉や挨拶があるのか、そういう前提でいるのだなとか、なかなかコミュニケーションが難しそうだなとか、色々と見るわけですね。

合うなら色々とやってとことんやればいいんですよね。

でも合わないならやはり変えたほうがいい。これがどんなに「良さげ」と言われていてもその人が合わないなら無理ですからね。昔ピアノを習っていたことがあるんですけど、先生次第だなと。嫌いな先生だとピアノが嫌いになって嫌になりましたからね。結局人次第ですよね。

だから好きになれる人とか好きになれるモノとか、興味はかなり大事にしてもらって、そこを丁寧に扱っていくのがいいですよね。

僕は試したものもわりと早く判断します。一回で無理なこともありますが、思想が嫌いとか(笑)考え方が駄目だなと(僕にとってですよ)思ったらやはり使わないですね。それくらい商品やサービスは溢れているわけですが、とはいえ良いなと思ったら使うと。そういうことを繰り返すと一定の好みやパターンが見えるし、直観も言語化すると色々と当たっていることもあると。まあ外しているときも分からないこともありますけど、直観オンリーでなく直観に蓋をするのは筋が悪いという考え方ですね。

なので周りがいいとか、誰かが言ってたとかは話半分いやあ、10分の1くらいに薄めつつ、自分の感覚を盛り込んでいって、どうか。なぜなら人の話って人の感覚でしかないですよね。良いって言われてたのに全然ズレたら信頼できなくなりますからね。そういうのも直観として信じてはどうかというところですよね。それだけではないんですけど。

そこで学べるなら居続ける

僕の中にとっての所属とは、結構学びを重要視しています。学べることでそこから成長したりするのが楽しいからですね。最も学べるがボランティアで無償ならまあ辛いので駄目ですよね(笑)

社会人は学ぶのでなくアウトプットだみたいな話をしていて、学ぶのはよそでやれみたいな考えの人もいますよね。分からないでもないですけど、不思議なのは学生時代までのストックでやれるかどうかというとまずそれはない。むしろ勉強や学びは一生という前提がないので話が噛み合わないですよね。

その上で、学ぶことは避けられないのでどう楽しむか、面白がるかというと、めっちゃ面白いわけですよね。面白がる技術や視点を得ていったほうが自分も社会もハッピーになるとすら思っています。面白いから面白いのでいけると。

僕の一つの指標はそういう学びだったりするなあというところを考えていて、学びがないならそこは居ない、つまり去るということをやはりやっています。

学べそうなところにいるし、いくし、そういう人のそばにいることを鍛えていくのはもありですね。おこぼれや棚からぼた餅を狙うということではなく(笑)あっても学びですから、僕が自発的に動くことがないなら学べないですからね。

というわけで、居場所じゃないなと少しでも思ったら色々と考えてみて、直観を大事にして、少なくとも蓋をせず動いてみようという話でした。大体論理的に考えたり色々と考えるとまあ自分の選択とか人のアドバイスもですが、当たる当たらないは分からないですから。正解がないので、選んだことをうまく「正解化」するというか、正当化ではないですけど、そこに意味を見出したりというほうが僕は自然だと思います。最もこれも思想みたいにすると、窮屈なので、時には直観で時には理屈でくらいのバランスがいいのではないかなというところでした。

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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