発散と収束を一体として考える

アイデアを出す時に、発散というのは、まず「これどうかな」「こんなのもいい」ということを、「反射」的に出すようなことです。反射でなくてもいいのですが、合理的に考えるよりも手前のイメージです。

収束とは、出てきたものを吟味する、弾いたり、選定するようなことです。

これらは、一体として考えるのが本エントリの主張ですが、一体とは両方同時に考えるのでなく、発散したら収束を直後でなくてもいいので、しようというか、しないとおそらくアイデアが浮かばれないよねという話です。

発散と収束を専門担当でやると悲劇になる

僕の感覚ですが、発散だけやっている人がいるとしてそういう担当者がいるとしますよね。その人をAさんとしましょう。Aさんはアイデアを出すのが、仕事だとします。

問題は発散が楽しい人もいるとは思うのですが、僕も好きですが、その着地が何も見えないことです。僕はこれをフィードバックなしで突っ込む索敵という感じです。つまりここにこんなのがあったと探検して報告しても「何も評価なし」であり「どんどん調べていって」みたいな感じです。つらいですよね。

だからこそ、収束担当と一緒にやったほうがいいってことです。

逆もあります。収束担当マンというのがいるとします。Bさんとします。Bさんは、出てきたアイデア(正確にはAさんが出したアイデア)を選定するのが仕事です。その時、自分で発散しないので、色々ケチをつける(笑)仕事になります。それだけだと嫌な感じですが大事な仕事ですよね。

ただこちらも、現実化するためだけの視点しかないので、例えば「当初の切れ味」「良い切り口」自体が見えずにとても近視眼的なものになりやすいわけです。

つまり、ここではAさんとBさんとしましたが、組織でもですが、チームでもですが、そして一人の人でやる場合も、このAさんとBさんは同時ではなく、それぞれいたほうがいいし、あったほうがいいし、あるべきかなというところです。ある程度強い主張としてです。

両者はベクトルが逆だから、同時起動は無理

注意点として、発散と収束は一人の人でやるなら、発散時間は発散をしておきます。例えば紙に書き散らすなどです。それをしている間に「これはダメだな」とか「これはいいぞ」とかは感想程度ならいいのですが、それ以上につまり、収束するとかでなく「発散」モードはあくまで発散に集中したほうがいいよということです。発散モードだからです。

ちなみに、発散すべき状態の時に、収束をしてくるとそこでパワーが出ないので、ここは大問題ですから、そこはなんとしても発散状態としたほうがいいでしょう。ブレストは効果がないというのはある種正しいと思いますが、ブレストという概念やイメージややり方で色々つまづいているだけであって、「ブレスト」自体がダメなわけではないと僕は考えています。つまり発散モードが出来るブレストは価値があるであり、そうでない収束モード的なブレストはまああまり価値は出ないかなというところです。

なぜその発散と収束を分けろというのかというと、単に出来ないからです。普通に天才的で同時にできるならいいのですが、僕は出来ません(笑)あとそうやって両方をやれる人はみたことがありません。正確にいえば、色々と話しをしていて良いアイデアを拾いつつ、まさに発散していって、じゃあこれいけそうだなあーたとえばということで収束するみたいな会話は成り立ちます。ですが、これは相当なれた人で、ある程度発散や収束の感覚、お互いにどこがどこでを適宜対話できるというか、そういう関係値があってこそです。なので、あまり一般化する、誰でも出来るというものではない(少なくとも関係性が高い人は限られるという意味で一般的ではないってことですね)感じがします。

もちろん、アイデアを書き散らすところで、これダメじゃないかと思うことも山ほどあります。ですが、書き出していってそこからさらにやっていくといいわけであって、そこで収束したほうがいいとかってことではないです。くどいですが、収束の話であって、切り口やテーマがダメとか、知識がなさすぎるとかだと、それは発散とかでも収束とかでもなく、学習やインプットの話になるので、それは別途収集してくださいとなるので「ブレスト」「発散」をする、「書き散らす」という行為だけをノウハウとして見たらアウトです。あくまで、前提が色々あって、アイデアを出そうとしてある程度出せるぞという特定の状況で言っている話ですから。

無理なので、そこをあえてやらなくてもいいんですね。だから、まずは発散すると、その後で収束すると。それをまずは留意したいというところでした。

しかし、発散と収束は一体ではあるといえる

ここで矛盾していそうですが、発散と収束は別々の人がやることもありなのでしょうが、僕の中ではそれはどうなんだろうというのがあります。つまり、持続可能性ってことです。発散し続けることが出来るってなかなかなくて、収束もそうです。なぜなら、それを単にその人が続けられるかってことです。

僕は0→1が好きですが、それもある程度こうなったりしていく方向があるとか、ある程度こうしたら見えるみたいなものがあるから動けます。ないと、つまりノンフィードバックであったり、その世界に対して何も影響がないならば、「超退屈な作業」であり、「暇つぶし」(悪い意味で)となるので、最も嫌なことになるからですね。これ、収束でも一緒ではないかなと考えていて、出てきたアイデアを現実化するって「偉い」感じですけど、それを選定するために考えたわけでもないなら、何様だよってなりますよね(笑)まあ、収束が得意でも、やはりもともとの源ですよね、どう出てきたかを知らないのであればなんか持続可能性が低いというところです。

だから、発散が得意とか収束が得意ってのはあってもいいんですよ。ですが、発散をしたら、その人が収束するほうがいいんじゃないか。またはその発散感覚がある程度分かる人が収束するほうがいいんじゃないか。これって合意形成みたいな話なんですけど、納得感がとても高いか、低いかというと、高いのはやはり関与したことが多い方じゃないかなと。つまり、発散にも収束にも関わるほうがいいんじゃないかって感じです。

という意味で、発散と収束を別ものと捉えるよりも、というか別ではなく、アイデアを生成し形にしていく意味ではどちらも大事でありセットってことです。その概念ってなかなか伝わってないし、分かりづらいんじゃないかと。ということを感じて書いてみました。

ヒントは空海の「自利利他」であり最澄の「忘己利他」

この考えというか視点は、利他学という本を読んでいて気づきました。詳細は本書を読んでもらえればですが、簡単にいえば「利他」って概念は、空海や最澄が活躍した平安時代8世紀くらいですかね、に日本ではあったんですね。西洋より大分早い、千年くらい(笑)からあったと。

利己と利他といってもいいですが、己である自分と、他人である他者、どっちでもいいんですが、これらって断絶してないってのが両者の見解としてあると。つまり、自分と満たしてかつ他者も満たせるみたいなのが多分空海の「一如」みたいな考えかなと。最澄は自分を忘れていくことで他者を救えるみたいな、まあ一体感って感じではないと。でも、どちらも自己と他者はつながっているというのは共通しているって感じですね。

著者が言うのは、ここで利他っていうとエゴイズムとか、自分の反対みたいな感じじゃないかと。でも、本当は本質的にいえば、自分を満たす愛みたいなものがないと、それは菩提心とか仁みたいなものと言ってもいいと思うんですが、やはり他人を満たすとかってないと。って話をしています。

その通りだと思っていて、実際には僕とあなた=他人は別ですが、僕とあなたは一体的につながっているというほうが僕は理解がしやすかったですし、概念を分けて、取り出すとそれだけを見てしまうのってありませんかね。例えばノウハウやテクニックというものですよね。こうすればいいってやつです。でもこれその場では対症療法的には便利だと。それは否定しません。けどもそれに慣れると、じゃあ本質的には?それが通用しないとき、他の対症療法に走るのか?ってなるんですよね。

だからこそ、一体として考える、セットで考えるって結構簡単に言うのですが、結構難しいなと。

だから、発散と収束をセットでというのも、かなり難しくて、むしろ別々にしているだけで終わるほうが一般的かもしれません。ですが、僕はそこで踏み込んでこれらはセットであり、一体としておかないと、本質的なものは消えるのではないか?って感じがします。

例えば、どれだけ良いアイデアということを発散しても、収束マンに伝わらないわけです。選定する収束マンも、発散マンの想いをガンガン切っていける(笑)それで機能する世界観もあるんでしょうが、なんかお互い歩み寄って対話すればもっとマシになりそうなんだけどな?くらいで保留しておきます。絶対うまくいくとは思えないですから。

ただ、僕の今の感覚では、オペレーションする実際に動く人と、戦略を分けて考えるみたいなのって、あんまりうまくいくイメージがないんですね。なぜならそこまで劇的に切り分けてって言えるようなものって、規模が大きいとか、ルールがないと回らないとかですからね。多くはもっと小さいチームで、小規模で、もっと個人の範囲でやることが圧倒的多数だからですね。組織論が使えないというのは、それがとても限定的だからではないかって印象があるからです。集団を理解するのは大事ですし、社会を理解する一助にはもちろんなるとは思いますが。

おわりに

というわけで、今回は利他という概念を考える時に出てきた、概念セットである、自利利他みたいなものから、自己と他者は一体であるというところがありまして、そこからアイデア出しにおける発散と収束というところに紐づけてみました。

もちろんこの考えが正解なんてないですし、厳密に分けたほうがうまくいっているよという人もいるんだと思いますが、僕の今の感覚では一体型として、セットであることを踏まえた上で、わけて使うほうが(論理的にはこの説明は矛盾していますよ)いいのではないかなというところでした。

記事を書いた人

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
ビジネスアイデアメディア「シゴクリ」運営者。まずアイデアを出すアイデアセッターであり、生まれてくるアイデアをビジネス化出来ないかを考え続け、手を動かすゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談やビジネス企画の実績多数あり。毎日生まれるアイデアから世のために貢献していくスタイルです。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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