失敗数に成功数は比例する

失敗をすればするほど知見がたまって、学びと知見が増える。よって、成功数が増えるという考え方。

これで考えると、例えばAさんは例えば100失敗しているんだけど、3成功しているとする。Bさんは、10失敗しているけどまだ成功が0とする。この時、成功している部分は可視化されるし、顕在しているので、AさんとBさんでは「成功数」だけを見ると、圧倒的にAさんが成功しているようにみえる。

けれど、失敗数でも圧倒的にAさんは失敗している。

問題は、この時、BさんがAさんを見る時に「成功できていいな」ということだったり「失敗をしてないんだろう」と見てしまうことだ。事実は逆で、全てにおいてBさんはAさんに量が不足している。それだけとなる。それだけなので、量をやればいいという話。

当然、BさんがAさんに勝つとかだとしんどいけれど、では試行数を2倍3倍にしても、まだAさんの3分の1にも満たない。けれど、もしかしてBさんが30失敗する頃には、1つ成功があるかもしれない。そうなればしめたものだ。そうでなくてもトライはしていく必要がある。

人は成功の顕在している部分だけを見がち

失敗を評価するのは実は難しい。なぜなら僕がAさん、Bさんの失敗をどう捉えられるかというと、知っていたり似ていることなら分かるとなるが、そうでないなら「そうなんだ」で終わってしまうからだ。この時点で失敗はその実行者が得た経験であり、そこから何を得たかが大事となる。得たかをアウトプットすればそこから僕は理解を深められるからだ。しかし経験をしてないので「絶対」にだが、その経験を得るには僕が同様のことをやるしかない。もちろん、僕が違う経験から想像はできる、けれど想像はそこまでであって、実経験ではない。

実際の経験を絶対視したいわけではなく、そこにはやはり溝がある。だから想像でも筋が良いところにいくには近しいことを想像できたりする違う経験となる。他の人と自分は経験で一致することはない、同じ音楽家でも全く違う経験であるはずだからだ。似たようであっても。

そうなってくると、失敗はあったとしても見づらいというか、わからないのだ。人からみたらわからないのだ。失敗から学ぶというのは美談になりやすい。ここでは失敗した人が自分の失敗から学ぶことはありえるが、他の人が学びづらいということだ。

よって、成功のような分かりやすい、ポジティブなものに惹かれるのは性質だろうし、見えやすいから惹かれる。しかししかし、それは氷山の一角でしかない。97の失敗を見ないで3の成功だけを見てAさんを評価できるのだろうか。否だが、そうしてしまっているのではないだろうか。

Bさんのポテンシャルを測ることもしてみたい。しかし10やって失敗だけであれば「それで?」となるのではないか。そこでどうしていくかをわりと見つけることはできない。人生の信条、マインドセットになるからだ、突き詰めると。ここでBさんはそれほど選択肢はないのだけど、あきらめずにやっていくというマインドセットでどこまでやれるか。それだけではないだろうか。

成功した部分はしかもそこから学べるかというとこれも疑問だ。だから、成功も失敗も人からはわりと学びづらい。学ぼうとしても、結果的に自分の経験や理解度から往復してどうかとなる。経験値が低ければ解像度も低いので「何をこの人は言っているのだ」となるのだと思う。人から学ぶのはいいけれど、まずは自分の行動や試行数が少なければ絶対的に土台がないので学びづらいのではないかというところがポイントとなる。

シンプルに量をやる

シンプルに行動をしようということになりがちだが、人はやれないものだ。なぜなら怠惰や楽をしたい、あえて「苦労」したいわけではないからだ。効率的にやりたいとか。他のやり方があるのではないかと考えるのはいいけれど、それはただ楽をしたいだけであったりする。

その思考では「ちょっとつまずく」と、これは駄目だと思って明らめてしまうのだ。それで多くの人は数をこなせない。判断を下すのが速いのは良さそうだが、続かないということに紐付けると良くないことになる。何事もケースバイケースとなる。

量をやっていくと見えるものがあるとはほぼ絶対的に正しい。しかし、Bさんが100やればいいのか、1000やればいいのか、失敗の数だけ強くなれるかどうかは精神論に聞こえてしまう。しかし、学びに落とし込んでいく、気づきを得ることで、成功率は「おそらく」上がる。学びと結果の関係でいえば、成功したからというよりも、学んで解像度が上がったからより効果的な行動が出来る、打ち手ができる、アイデアが出せて実行出来るということに尽きると思う。

シンプルに量をやって結果がついてこない場合がある。これは簡単で、その失敗、一回一回のトライについて、検証したり振り返りが甘いのではないかと思う。甘い場合は簡単に測定できると思う。具体的には10回何かした時に、1回目の試したことと10回目のことでそれぞれ失敗したことがあるとする。それをX1とX10としたとき、X1とX10が同様の失敗や同様の思考、パターンでもいいのであれば、やはり同じ失敗を繰り返しているといっていい。X1≒X10ということだ。本来学習とは、学びとは気づきとは、Xnにおいて気づきが得られることを言う。

うまくいっているなら、必ず何か得たものがある。よって、10回では分からないというなら、更に試行を増やせばいい。この肌感はやっている人が一番分かっている。あまり効果がないのではないかということを繰り返す、つまりあまり試行の違いがないことを繰り返すと、文字通りあまり結果が出ないだろう。当然偶然とか運もあるが、シンプルにそれは無視して、試行数だけ見れば、気づきZnとするとき、Σ(Zn)を最大化するようにすればいい。これは一回ずつの試行で気づきを最大化するようにする。すると、同じ10回でも全く違う10回となる。そうすると、次の11回目で全く違うアイデアが生まれるかもしれないし、得た失敗からやはり別のやり方にしようと切り替えになるかもしれない。

もう一つ言えるのは、量をやる場合、量をやればいいのでしょう!といって、量をただやっている場合だ。これも学びがないなら意味がないと断言してみたい。上と一緒のことを言い換えているだけだ。量だけが1000回だとしても、1回で得ることがないか、むしろ疲れやストレスになるなら学びにはマイナスとなる。ならばやらないほうが増しとなるが、もっといえば学び量が少なすぎて投下した時間やお金と合わないということもある。実際に合うか合わないかは一回の試行だけで判断出来ないことも多いが、ある程度の試行で「なんか違うな」と思ったときにはやはり振り返るしかない。そこで振り返っても何か変化がない、起こせないといったほうがいいだろうが、そうであれば多分きついと思う。

きついとはおそらく頭の中で青写真や絵を描けないのだから、ある日突然出来ることはない。修行であればありかもしれないが、多分多くは「考えが麻痺」するくらいでしかない。疲れているなら休めばいい。クリアな頭で考えても「これは量をやっても駄目だな」と思えばやらないほうがあなたにはいいはずだ。

量をやるだけでもシンプルに色々な課題がある。質ならもっと複雑であると思う。

失敗は誰も評価しない

これは日本だからということではないと思う。仮に海外でも失敗しているから色々出来るよねという評価があったとしても、上でいえば失敗したことを評価出来る人はその人が失敗して成功に持っていったりした人でないと厳しいからだ。だから、「誰も」は言い過ぎだが、自分が得たもの、学びに変えていくしかない。

ここでいいたいことは、100失敗すればいいんですか?ってことではなくて、その数も学びもあなた次第でしかない。スケールの問題で、ものさしが人によって違うので、10で手一杯の人もいれば1,000やってもまだまだ行けるという人もいる。それだけだ。成功も1やればいい人もいれば、100でも満足出来ない人もいると思う。

だから、これだけれやればいいという量の提示が出来ないのと、時間もだしお金も出し全てそうだ。ここまで成功すればいいということもない。あるのはあなたがものさしとして持っている想像やなりたい姿とか、考え方とか、気持ちよく感じるやり方とかそういうことでしかない。

なのでこの考えでいけば、失敗を色々出すとかはあまりなくなる。あえて公開しなくてもいいが、失敗をすることをオープンにしても成功しか見ない人が多ければまあいいかとなるからだ。誤解がないようにいえば、僕は失敗は公開していったほうがいいと思っている。しかし、その失敗からどう学ぶかは見た人で出来る人は限られると思っていて、自分の失敗に重ねたり経験と重ねることでしかあまりできないのかなというあくまで仮説だ。

そうしていくと、やはり成功が分かりやすく見られることになる。成功が顕在化していて分かりやすいので、それがあると。ただ失敗を出すかどうかはおいておいて、氷山の一角として成功したその下には膨大な100倍くらいの失敗があると想定する。そういうマインドセットや見方があればいいのではないか。そう考えると成功に触れる→失敗があったのだと感じる→そこから得られることもありそう、というように展開できる。

ただ人の話は結局人の話でしかないので、ここでいうタイトルにある失敗も成功も、誰か人の話でなく、僕の話でもなく、あなたが失敗した数や成功数を当てはめてみることが良いと思う。成功しているものや失敗しているものの認識や認知がずれてまあ成立しないのかもしれないが、結果的に成功する人は、数をやっていて、失敗もそれなりに生み出しているから、成功もするのだけど、というところになる。数を打てるか、粘れるかは、精神論もあるのだけど、精神や意志だけではない世界だと思う。

仕組みや状況や環境として、「失敗してもいいのだ」「どんどん数を打っていくぞ」というのがOKされるところを作っていく。または自分で高めていくが求められる。

そもそも成功とか失敗とかどうでもいい

ただ結論としては、成功したほうが良いと思うかもしれないが、成功も結局何かということだ。反社会的なことが成功ならまあやってはいけないわけだから。

その上で、成功があなたの自己実現であるとか、仕事やビジネスの成功ということなんだとしても、それは抽象的すぎる。抽象的が悪いのでなく、そういった時、つまり「ビジネスの成功」といった時、どういう世界になっていて、何をしているかが見えることが求められる。あなたが説明をしなくても、その抽象イメージから具体的なイメージに落とし込めるかがポイントとなる。人に説明できなくてもいいが、多くは言語化になるので言語化できていなければまず出来ないといっていい。

抽象目標が悪いわけではないし、なんとなくなっていくのも全く違和感はない。しかし、なんとなくであっても、理屈がないけれどというのも、理屈で考えた経験があったり、ある程度思考をアクセルを踏んだことがなければ、またはその失敗があるからこそ、ややネガティブや距離を置きたいとなるだけだろう。それがあって始めてなんとなくの理屈がないこともOKといえる。勝ちパターンがそれならもっとそれでいってもいい。ただその言語化によっては人によっては理解されないだろう。あなたの言葉でしかないのであなたの世界でしか使いづらいからだ。

ある程度の試行があってその上で結果が出る。それが成功か失敗かの2択ということはあまりない。ちょっと失敗かもななのか、ちょっと成功かもなというほうが現実感がある。そうやってうまくいくかもしれないパターンを掴んでいって、成功率を上げていく。ここでもビジネスの成功なんてふわっとしたものではなく、あなたが考える具体的なイメージに紐づくかどうか。それだけがポイントとなる。そうなっていなければ、試行が無駄であるし、無駄になるのであれば再度考えて試行する、その繰り返しとなるだけだ。

もっといえば、行動することと、その結果の是非は分けて考えればいいとなる。行動は行動、結果は結果。このように分けてしまえば、行動エンジンは結果エンジンとは別に稼働する。行動したから結果が出たというセットで考えるのももちろんいいが、この考えだと結果がでない行動はしないみたいな制約が出てしまう。仮にこれがいいとしても行動を止める意味はなく、むしろ適切に動き続ける行動エンジンがなければ詰まってしまう。逆でもいい。結果が出る行動だけをしたいでもいいが、それはまずない。

つまり、行動や試行というものがあって、その上でたまたま失敗した、たまたま成功したという点というか知見がある。ではその行動や試行のどこが良かったのだろうかを考える。それが学びとなる。失敗してもそのどこがいけなかったのかを考える。多くはとくに初学者であれば当て感はものすごく悪いはずだ。でもそこから学ぶことができる。そうやって当て感をためていくことで、カンのような鋭さが磨かれる。

失敗しまくったから行動をやめて良いことはないだろう。成功したから行動しないもないだろう。そう考えて独立した行動を考えると、まずやってみるというのが以下に結果と関係ないかが見えてくる。結果がどうあれまずやってみるという考え方出来る人は多分このようにエンジンが別にあると思う。

またこのエンジンは先天的ではない。後天的に学習して、別だからまずやってることと、その結果を分けて考えることだ。アイデア出しでいえば発散と収束を分けることと同様だ。なぜか発散する直後に収束するとアイデアは出てこないのだが、それはアイデアを評価することですぐに冷やしているからだ。冷やせば全てのアイデアは鎮火する。収束がそのような行為だからだ。例えでいえば「火をつける瞬間にバケツで水をかけている」ともいえる。

失敗するから行動しないも、成功するような行動しかしないも、同じように火をつけつつ水をかけているように思えるということだ。そうではない。

まず火をつける。そのうえでまずいなら水をかける。このあたりのさじ加減は実は難しくはない。失敗して命や色々な危機にならない程度というのは多くのことが出来るということだ。多くは精神的に失敗したら格好悪いとか、これで何回目なんだろうという失敗に飽き飽きしているとか、自分の力のなさが開示される=見える化されることへの恐怖(これは硬直したマインドセットの人の特徴ともいえるが)、自分は間違いないとか失敗しないとかそういう性質だと思いこんでいるとか、そういう類で精神の話となっている。

じゃあなんで行動が、試行ができるかだが、シンプルに楽しそうとか、こうするとワクワクするとか、なんか人に喜ばれるのではないか、喜んでもらえるのではないかという期待、未来があるからだと思う。少なくとも僕は。そうではないならやらない。あえて怒られるとか、嫌われるようなことをする意図がないからだしそれをあえて望む人はまあなかなかいないだろう。

まとめ

というわけで結論的には、

  • 行動と結果の分けて考えてみる
  • それぞれのエンジンを分けてみる
  • 成功=顕著=顕在的なものなので、失敗=潜在的なものへの想像力を高めてみる
  • 量を意識すればいいが、学びを最大化すること
  • 学びを最大化する=気づきがあるので、成功率が上がること
  • 成功や失敗の定義は人によって違うので、自分なりの定義や青写真をつくること
  • 成功定義が抽象的でもいいが、具体化出来るようにしていくこと(人に説明するかどうかはその人次第。ただし言語化なら書いたほうがいい)

というようなことになる。

行動大好き人間には全く役に立たないが、何かやろうとしていて行動できない人には「量」というのはやはりある程度推進できる一つの目安となると思う。ただ、10やって駄目だったなら、何が駄目でどう駄目かを説明できなければならない。説明できないならば20回やっても一緒だろう。10やって駄目なときに振り返って次の11回目がある程度いままでと行動や気づきなどが変わっていくかどうか。そこで変わっていればGOODで、そうでないならさらに解像度を高めていくしかない。

当然全部一人でやれという世界でもない。人からのアドバイスでもそれこそ先達の知恵に触れて改善したり、ヒントを得ることはできる。

そして最後にこれらは短期的に結果を出す話ではない。10回やったとか簡単に言っているが、それが1ヶ月かかるなら1ヶ月後にやった振り返りができるかもしれない。1年かかるならもっとかかるだろう。時間がかかるから駄目なわけでも、早く結果が出るからいいとも思わない。これらはあなたのスケールであり、僕のスケールとは違うので、自分はこれくらいがいいのだという「気持ち良い」ところ、「あなたがのびのびできる」まさに「これいいなあ」というところを探したほうがいい。それはコンフォートゾーンのようにダレるということでなく、リラックスしているけどいい感じ動けていて、結果も見えるというところ。それは探っていけば誰でもあるのだと僕は信じている。

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