中途半端とか多分ないという話

こちらのエントリが面白かったので、僕も何か書いてみます(笑)

「自分は中途半端だ」と思ってる人に贈る言葉

肩書や名乗りに対するツッコミは多分自分が一番持っている件

肩書の話を書いた気がします。ビジネスデザイナーというのを名乗っていますがそれに対して期待値とかそのズレがないか。まあ大事ですけど、実はそれほど気にしてないとか、ツッコミがないというのも実際にあります。

3年くらいかもしれませんが、名乗って活動しているところで、それは詐欺であるとか(笑)まあそう仮に思っても直接言う人はなかなかですけど、なんか違うっすねという捨て台詞系(笑)とかはなかったです。あったほうがいいとかはないんですけど、しっかりと認識頂けて、僕なりにビジネスに貢献する、できるというところを作れたのが自信になったかもしれないです。

上の記事でもとくに「身近に認めてくれる人がいた」というのがある通りで、お客さんならそれでもいいし、パートナーとか友人とかでもいい。そういう人が認めてくれるならそこでまず価値があるんですよ。

で、さらにその価値が幻想かというと、結構そうでなくて、結構通じる。ただそれが全世界誰でもとかでないし、「最高の何か」ではないってことに留意ですね。

このあたりのバランス感は、例えば野球バッティングに対してアドバイスを欲しい人がプロのアドバイスが欲しいわけではない、といえばいいでしょうか。最適なアドバイスが得られればプロでなくてもいいというか。ただそれなりにアドバイス出来る経験ややりこみがないと信頼出来ないので、信じて貰えないでしょうし、依頼とならないですけどね。

中途半端感というのは多分マルチポテンシャライト感

これはたまにいってますが、様々なスキルや技能や経験を組み合わせてやれることを「器用貧乏」と言っちゃう人がいます。分かります。僕もそうでしたが、それはマルチポテンシャライトといったほうがいい。ポジティブに捉えてください(笑)

そのマルチなんちゃらって何かというと、要するに「マルチ」にできるってことです。マルチ商法とかでなくて(あれはマルチ連鎖取引でしたっけ)。

僕は心理学を勉強しましたが、カウンセラーとかではないですよ。コーチングとかもやってません。個人の心理にそれほど興味がなかったんですね、今も社会心理の方が興味が強いくらいです。それくらい人は影響を受けるってことです。

それで、その後プログラマとして仕事をして、でもそこにあるのはこれでお金がもらえることは分かったけど僕がプログラマとしてエンジニアとしてやりたいぞとかはなかったんですね。ここでも中途半端になりそうですよね。

その後色々あって、今はフリーランスですが、フリーランスになりたかったわけではまずないですね。起業はしましたが、畳んでますし、色々と失敗ばかりです。

でも後悔は全くなくて、その時々でやれることを真剣にやっていったらそうなっただけなので、一つのことをやっていないので真剣ではないともし思う人がいればそれは誤解ですね。あと、真剣にやる=一つのことをやるというのは作られたイメージすぎるのでちょっと「うぶ」ですらあると思います。

実際にアルバイトとして何か仕事をする場合でも、何かこれをやっておけばいい。杓子定規にこれだけやればいいということはないんですよね。一つの仕事や業務ですらそうなので、色々な要素があることが普通ですから。

で、色々言ってますが、一つで終わらせたくないとか組み合わせたほうが面白いとかって人は企画とか向いているのでそっちで活躍したほうがいいです。つまり色々なスキルや要素を汲み取り設計出来るというスキルです。これ簡単でなくて結構大変で、まずシンプルにマルチポテンシャライト的な人の方が素養があるんですよね。企画自体に飽きるとかはありえますが、ジャンルを変えたりとか、やり方を変えればまたいけるはずで。

ちなみに僕はものさしとしてあえていえば、何か作り出すことをやり続けています、という後付けで認識できてるんですね。プログラミングはアイデアをプログラム、ソフトウェアにすること。企画はイベントならイベントを企画して設計して運営すること。リサーチもなかったデータを考えたりどう調べるかもあるのでアイデア要素がある。今のアイデアを考えることもまさにそれです、ビジネスって何もないところから作るのが楽しいですよね。実際は何かと組み合わせなので0というのも言葉のアヤなんですけどね。

そうやって今僕は中途半端感なんてどっかに消えてしまっていて、とはいえ0ではないんですね、なぜかというとそうやって言う人はどこかにいるでしょうし、あなたがそう思っているかもしれない。ですが、まあそれはいいやと。吹っ切れてどうでもいいなと。

僕は思ったのはそうやって自分がこれでいいやと思ったら、それを妥協とかでなくて、むしろ自分に妥協してないってことですからね、それをやり続けたらいいやんと。違ったら変えればいいと。そういう気分や気持ちがあること、またはそれに気づけたらそれこそがまさにものさしだよねって話となります。

自分が中途半端だと思ったら?

確かにこの感じはあると思っていてその時は、目の前のことを極めてもいいですけど、極めてもそれが終わる(中途半端にならない)ことはないんだろうなってのが大事です。というか1位とか、どこかでトップでもまあ上には上がいて。または上を取ったら取ったで次の課題や目標がいるので。まあそれってキリがないんですよ。

だから、中途半端→極める→終わるとかはなくて、ってことに気づかなくてはいけない。その上で、中途半端感が何で生じているか?

僕は物差しだと思うので、ものさしが一つしかない中で、そのものさし、例えば年収とかで人を区別する人がいるのか分からないですがまあそれはそういう価値観(なかなか友達になれないでしょうが(笑))なんだなと。ただ、お金でしか見てないので、なかなかの狭さでしょう。

その人はおそらく、お金を得ずに行動するとか、年収を減じるような行動を取る人が理解できない(会社の方針に反対するとか)のでしょう。それはやはり「うぶ」だなと思うのですが、そういう人もいるんだと僕は理解しています。

その時ものさしが一つである人は、違う物差しを見たり、気づいたり、それで測ってみると。すると、第一のものさし、唯一の物差しだと思っていた、「職業として人生で成功したい」みたいなものですかね、それって別にそういう一つでしかないってことに気づけます。というか1つだったらつらいので増やすしかないですね。

増やすには?色々な人と話す、価値観の人と話すってことですよね。その体験なくしてやはり増えることはないと。

そういう見方もあるんだ、でもいいんだって思えること。めちゃくちゃ大事ですから。

おわりに

と書いておきつつ、マルチポテンシャライト的な意味が理解されないのは、何かを極めるのが良いと規範的であると思われているからでしょう。これはもうしょうがない部分はあるんですね。

でも一方で羨ましがる人もいるんですよね。色々出来て良いと。まあそれはそれでいいとして、羨ましがってもしょうがないので、自分でやれる形を模索するしかないんじゃないかなというところです。

僕からは中途半端感はものすごく分かるんですよ。そしてそれを感じることで実は成長の余力とか促進剤になれば上手く付き合えばいいだけだなと。不安がゼロなんて人もいなくて、良い緊張感があるから動けることって結構あるからですね。そういう感じです。

中途半端感を糧にしてどんどん学んでものさしを得ていく。そうすると全然違った自分が見えたり発見できたりするんじゃないかなというところでした。

僕もそうやって生きていますよ!

筆者プロフィール

シゴトクリエイター 大橋 弘宜
シゴトクリエイター 大橋 弘宜
「シゴクリ」運営者。アイデアの力でお客様に貢献するゼロイチ大好きアイデアマン。ビジネスアイデア相談実績等は200超を超える。好きな言葉は三方良し。詳しい自己紹介仕事実績も合わせてご覧ください。お仕事メニューお問い合わせはお気軽にどうぞ。

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